ヒストリー

出身地

千葉県市原市

幼少期の暮らし、体験

ある田舎の高架下の住宅街で育ちました。
地域の大きなお兄ちゃんたちに面倒を見てもらいながら秘密基地を作ったりデュエルマスターズをやったりして幼少期をのびのび過ごしました。
「兄ちゃんたちに置いて行かれたくなくて1日で自転車に乗れるようになったこと」とその一週間後に「目をつぶったまま10秒間運転したら側溝にはまって頭をぶつけて大きなたんこぶを作ったこと」がこの頃のハイライトです。

3歳から水泳を始めました。

幼稚園ではコマ回しを極め、園内で一番長く回せたり、様々な回し方ができたりしました。ぶつけて戦うコマ回し地域大会では初戦敗退したことをよく覚えています。
「夢はサッカー選手!」ということでこの頃からサッカーを始めました。

しかし小学校3年生の頃には完全に夢は水泳選手に代わっていました。サッカーも好きだったのですがどうにもボールの扱いが下手だったので6年間は続け、5年生の頃に水泳に集中するために引退することにしました。

水泳に完全にスイッチが入った僕は中学で水泳部に入りたいと思っていましたが、地域の中学校には水泳部がなかったため、片道1時間半の昭和学院中等・高等学校を受験し、進学することにしました。

中学・高校時代

昭和学院中学・高等学校 2020年卒業
小学校の頃から「背が高いから」「足が早いから」「早生まれだから」などの理由で委員長を務めることが多かったため、行事などのまとめ役には自信があり、中学では学級委員長(この学校では組長が正式名称)を率先して務めたり、文化祭実行委員などを担いながら水泳活動を一生懸命取り組みました。結果、3年生の頃には関東大会400mフリーリレーで優勝を収めることができました。ここまで苦しいことがたくさんありましたが、この学校に入学して本当に良かったと思いました。


高校でも組長、文化祭実行委員、スポーツ大会実行委員、を務めましたが特に記憶に残っているのは高校2年生の文化祭でクラス催しの劇で監督を務めた時のことです。
この年以降の文化祭は各クラスが何を行うかを自クラスで決めるのではなく各クラス代表が集まり、くじ引きで何を行うのかが決まる方式がとられていました。
この年、クラス代表である私が引いてしまったものは「劇」。準備は大変、そして当日の拘束時間が長いのでクラス中大ブーイングでした。引いてしまったものは仕方ないということで何とかクラス一丸となってやっていくことになりました。

この学校のクラス劇は5~10分などの短編が多い中、驚異の50分劇を敢行しました。
演劇部がいるわけでもないクラスで、背景3枚と小物多数、役者7名、舞台裏7名という当日当番14名、そして50分という長編劇を行うにはクラスメイトの理解と協力が必須でした。
僕はこのクラスで監督を務め、背景案、舞台演出、演技指導、脚本選び(ネットから選んで脚本家の方にお借りしました)、衣装発注を行いました。
部活動な盛んな学校だったため、文化祭準備をサボる子が続出したりトラブル続きでしたが、当日は100人以上もの方が50分もの間観劇してくださって、クラス一同嬉しさに包まれました。


学業に関しては、中学生のころから経済学に興味があり、大学は水泳サークルでも有名な東洋大学に進学しようとしていましたが、高校1年の頃、カナダに一か月留学した時に、日本の大学だけではなく海外の大学を視野に入れてみようと思い、進路を考え直した結果、アメリカの短期大学で2年間勉強した後、四年制大学に編入しようと計画しました。

しかしコロナ禍で2020年9月入学ができませんでした。
高校を卒業してすぐ、9月の入学が厳しいということがわかっていたので2021年1月入学に向けて様々な勉強をしようと思いました。
卒業してすぐ、コンビニのバイトを始めて、元手を作り株式を始めてみました。
1ヵ月半後からは動画を作り始めるようになりました。
同年7月頃から友達のyoutubeのエンディング作りや単発の映像制作アルバイトを行い、それきっかけでどんどん映像に興味が湧いてきました。

2021年1月の留学が不可能と決まったタイミングで進路を考え直し、東京デザイナー学院を進学することに決めました。

大学・専門学校時代

東京デザイナー学院