引っ込み思案で頑固。お遊戯会でも話せない+虫歯になったのに歯医者さんの診察台では口を開かない…
そんな困ったちゃんでした。(歯医者さんは、2回も通院時に口を開かないため、最後はバスタオルでぐるぐる巻きにされて治療、となったと聞かされました。)
一方で、野山に恵まれた環境で育ちましたので、蓮華畑で下着一枚で転げまわったり、小川で魚を捕まえたり、赤土の斜面で秘密基地を作ったりと、自然の中で壮大な空想を広げながら遊ぶ、という少女時代でした。 今の仕事も、その感覚に近いものがあり、三つ子の魂とはよく言ったものだと感じます。
中学校は、2年生までブラスバンド部で、パーカッションに所属。
タンバリンやトライアングル、太鼓など鳴らし物が今でも得意です。
また、一日一度は図書館に通い、友人と年間貸し出し冊数上位を競い合っていました。
高校は、寮に入りました。先輩とも同室で、お風呂は15分、テレビは皆で同じ番組を1時間という生活で、かなり鍛えられました・笑
今でも集団生活にすぐ適応できるのと、お風呂は15分という習性が残っています。
学生時代は、国際交流サークルでたくさんの経験をしました。
海外からのスタディツアーの受け入れの他、ドイツで開催された学生フォーラムに参加したり、台湾にホームステイしたり。
大学4年時には、2か月間のインターンシップとしてインドの経済連合会的な団体で就労体験をしました。 ちょうどインドで日本企業のビジネスショーが開かれるとのことでその準備と運営のサポートとして。 サリーを着てパソコンに向かったり、ランチパックが連日カレーでちょっと飽きたり、意外に冬のインドが寒いと分かったり…。 たくさんの異文化体験をできたことは、貴重な財産です。 多分この経験が、どこに行っても大丈夫、という自分への自信を作ってくれたのではと振り返っています。
大学卒業後は、Uターンして九州で出版社に勤務。
自治体コンサルティングの営業を経て、研究職に付きました。
その後縁があった、保健福祉分野のベンチャー企業に転職。初体験の総務に携わり、
就業規則の作成や採用・労務関連の整備や関連社会福祉法人の設立に関わりました。
遠距離恋愛を経ての結婚をしたため、1年ほどは、2週間九州で生活し、終業後はフライトで東京に行き、2週間は専業主婦という2拠点生活を続けていました。テレワークなど柔軟な働き方のない時代でしたので、本当に得難い働き方をさせてもらったと感謝しています。
出産を機に退職という選択になりましたが、働くことの面白さを忘れがたく、再就職するも、子育てと仕事との両立で体調を崩し離職するという挫折を経験しました。
その経験者だからできることを、と2012年に女性の再就労を支援するNPO法人ママワーク研究所を設立。イベントやスクールなどを企画実施してきました。
ママドラフト会議® という企業と女性のミートアップイベントの開催をきっかけに、マッチングの希望が届くようになったため、職業紹介免許を取得すべくWork Step株式会社を設立。今に至ります。
20代の私には想像もしなかった起業経験で、日々仕事に悩みつつも、目指す世界の実現に向けてチャレンジできること。この環境が与えられていることに感謝して、毎日一歩踏み出そうと自分を鼓舞しています。