林明寿香
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ヒストリー

出身地

佐賀県

幼少期の暮らし、体験

オーストリア人の父、日本人の母のもと佐賀県鳥栖市で生まれる。
生まれた3週間後飛行機に乗ってアフリカのモザンビークへ。そこで4年間過ごす。当時は父親とはドイツ語、母親とは日本語、幼稚園では英語、地元の人とはポルトガル語を話す生活を送っていた。
4歳の時に親の離婚をきっかけにオーストリアに移住。そこで1年間過ごしたあと、佐賀県に帰国。3年間の幼稚園生活は3ヵ国を転々とした変化の多い日常だった。
小学校は佐賀県鳥栖市の公立の学校へ。全校生徒のなかで1人だけハーフだった。バレエ、茶道、塾と習い事で忙しい日々を送る。その後6年生を前に福岡のインターナショナルスクールへ転校。授業も友達との会話も英語の環境で0から必死で英語を学ぶ。

中学・高校時代

授業や友達との会話に必死で追いつこうと努力した成果が認められて中学1年の時には飛び級が認められる。また他者への思いやりと多様性への尊重を体現している生徒として中学校を代表して「UN day award」という賞を頂く。放課後は合唱団やyearbook club、生徒会など忙しく活動する。
中学2年生の半ば、オーストリアのインターナショナルスクールへ転校する。学校の規模が大きくなり、出会う人の多様性も増す。ゲイの先生がパートナーと一緒に子供を育てる様子や同級生が自身の性転換の話をする姿がごく身近に存在していた。様々なメディウムを使った美術や身体で表現する演劇に力を入れて取り組んでいた。
課外学習で訪れた「Dialog in the dark」に衝撃をうける。真っ暗な空間のなか、ツアーガイドの盲人の声を頼りに都市を模範した小さな空間を歩く。同じ空間が人によってこんなにも感じられ方が違うのに衝撃を受けた。また演劇の合宿で訪れたチェコの昔強制収容所があった場所では、空間が人の心理に与える影響を強く体感した。
高校から東京へ。高校では女子サッカー部で活動。

大学・専門学校時代

大学では建築を軸にさまざまな領域を横断しながらデザインを幅広く学ぶ。