今週のイチオシは『積読こそが完全な読書術である』だ。著者は、「情報の濁流のなかで自己肯定感を得るためには、自分なりの方向性を持ってビオトープ的な読書環境を構築し、新陳代謝」するしかないといい、積読を肯定している。以前は積読に対してうしろめたい気持ちだけだったが、私の6畳の部屋の本棚も「自分のための文化資本」だと思うと気分が高揚した。積読は情報社会の中でいわば孤島のように変わらないものとして確かな足場になりうるということだ。
また、著者は「今後ますます書物の価格は高騰し、本を入手するハードルは高くなっていく可能性が」あるとしている。私は、年齢が下がれば下がるほど、本を読む人は減っているのではないかと感じている。だから、本を読む人が減れば価格が高騰するのも必然だろう。確かに、本を読むことには面白いかどうかもわからないのに読むのに数時間かかるというリスクがあるのは確かだ。しかし、面白くないと思った本も時間が経って読み返すと驚くほど面白かったりすることもある。読み手が本を通じて自分に気づいてしまうのは読書の面白さの一つだ。
このように、積読は一方で自閉的でありながら、他方では開かれている両義的な営みでもあると著者は言っている。これからの時代は、ますますテクノロジーによる(生活の、あるいは「自分」の)外部化が進むと思われる。そうすると、テクノロジーに使われる恐れは大きくなるのではないか。既に2010年代のスマホの普及によって多くの人がスマホに使われてしまっている現実がある。Netflixのオススメによる「間違いのない」コンテンツの選択もどこか気持ち悪い。もちろんテクノロジーが私達の生活に浸透することは止められるわけではない。しかし、私は、テクノロジーにも社会にも飲み込まれたくないので、本を積み続けるのである。