「特許大学」ビジネスモデルの教訓

最近、ディプロマミル問題を調べていて、「特許大学」というものがあったことを知りました。

1970年代に富裕層の間で、「特許工学博士」「特許理学博士」など、「特許◯◯博士」という称号を得ることが流行したそうです。富裕層は、喜んで名刺の肩書に書いたとか。
「特許大学」は、それを与えるための機関です。

…といっても「特許大学」自体、大学でもなんでもなく、ただの株式会社。
しかも、日本では法律により文部科学省が認定した教育機関以外が「◯◯博士」の称号を与えることは禁止、つまり犯罪です。

ところが、「特許大学」自体は、合法のビシネスでした。
会社そのものが起訴されたり、刑事罰を受けたことはありません。なぜか。

それは「特許◯◯博士」というのが「私設の肩書」であり、商標登録だったからです。
「◯◯博士」=工学博士や理学博士、といった肩書は法律の規制の対象です。ところが、その頭に「特許」とつけた「特許◯◯博士」は、法律の規制が及びません。

「特許大学」も同じです。
私設の株式会社が、「大学」と名乗ってはいけないという法律もありません。つまり、自由に名乗ってよいのです。

シンガーソングライターや詩人と同じで、これらの肩書は勝手に自分で名乗れます。法的には全く問題ありません。
「特許大学」はこれに目をつけて、それらの称号を商標登録して、その利用権を富裕層に売っていた、というわけです。

「特許◯◯博士」の相場は、手付金が30-100万円。
最高でも300万円程度で、ごく簡単な審査だけで「特許◯◯博士」の称号を与えていました。

こんなのがビジネスとして成立するのかと思いきや…
なんと、富裕層数百人がこぞって申し込み、数億円の売上があったようです。
オフィスには現金の束が数え切れないほどあったとか。

見込み顧客の情報は、社長が親交のあった六本木のホステスたちから得ていたようです。
ホステス達が「あの人は名誉欲が強いから、絶対申し込むわよ」という顧客に社長が営業しにいくと、ほぼ間違いなく申し込んでくれたとか。
こういったネットワークを生かしてDMを送り、顧客は数百人いたそうです。

しかも金さえ払えば「博士」を名乗れる、ということで顧客も大喜び。
満足度も高く、喜んで肩書に名刺に書いていた人が沢山いました。

最終的には警察により特許大学の社長が検挙され、幕引きとなるのですが…
その罪状は「社長が名刺に(「特許」とつけずに)工学博士の肩書を書いていた」こと。
ただの軽犯罪(官名違反)です。しかも「特許大学」そのものは法律で規制ができず、国からの起訴も命令も何もなかったとのこと。

それを最初から知っていた社長は逮捕後も堂々としており、まったく悪びれることがなかったとのことです…。当時の朝日新聞のインタビューにも出ていて、社長(=正確には「学長」と名乗っていた)のコメントは以下の通り。

わしゃだました覚えはないもの。ウチが出している博士号は、キチンとした商標。確かに一部は特許庁が拒絶して係争中だけど、すでに許可ずみのものもある。大体、文部省の博士号だっていいかげんなものが多い。文部省、文部省といばるな、といいたいね」
「(事件が)新聞に出なければ、百億円はもうかったのに」

「いずれにしても、博士号も宗教みたいなもの。ありがたやありがたやで、みんなが信じていれば、いいんじゃない」

この事件は、調べれば調べるほど「客を騙してニセ博士号を配っていた」ではないことがわかります。

そもそも客を騙してはいませんし、「特許◯◯博士」自体、法的には何の問題もなく、特許庁が商標登録の許可を出していたのも事実です。喜んで買っていた顧客も、「特許◯◯博士」の商標登録の利用権を購入であることを理解していたのではないでしょうか?(ここはきちんと調べないとわかりませんが)

ではこの事件の何が悪かったのかというと、「特許◯◯博士」を名乗って、信じてしまった「特許◯◯博士号購入者の周囲の人々」です。
「特許医学博士が推薦するサプリメント!」「特許法学博士が死刑制度を考えるセミナー」なんてことがまかり通るのであれば、社会的にとんでもない混乱が起こることはほぼ確実。

でも「騙される方が悪い」のも事実。
今でも似たような話としては、「モンドセレクション」があります。これも実は12万円くらいで獲得できるベルギーの民間会社による称号で、日本企業による受賞が8割を占めているとのこと。国際的には大した称号ではありません。
でも食品会社は皆ありがたがっていて、実際に売上も伸びるんだから、何の問題もないでしょ、というわけですね。

ここらへんの線引って、結局は「社会が混乱するか、しないか」という微妙すぎる判断によって行われるわけですね。
モンドセレクションで社会が混乱することはないけれど、特許医学博士が跋扈するのは困る、という。でもじゃあそれって、誰が判断しているんだ?どこまでがOKで、どこから先が違法なんだ?という問題が浮上しますね…。

まあ、ここらへんは法学部の学生や、それこそ本物の「法学博士」の方に議論をお願いするといして、一般人が考えるべきことは

ビジネスをやるときは、直接的に金銭のやり取りが発生するユーザーだけでなく、ユーザーが関わる人々が幸せになるのか?を考えるべし

ということかと。
最近だとSDGsとか、ステークホルダー資本主義とか、そういった流行り言葉でも似たような主張があったと思います。

が、別にそんな大層な言葉を引っ張り出すまでもありません。
エンドユーザーの先の人々のことまで考えようね、というのはいつの時代もビジネスに関わる人間として大切だなあと思います。