「自分ごと」「自分らしさ」「自分どうし」

「自分」について


学術イベントでアメリカに2年ぶりに行った。

「自分」とは何か。「自分」を「社会」をどう繋げるのか。それを考える機会にもなった。


まず「自分ごと」。今回は3つのホテルを渡り歩いた。今回、どのホテルにもあったのが、フロント近くにある無料のウォーターサーバー(写真)。メイカーも同じ。宿泊客はチェックイン時に無料のプラスチックボトルを渡され、好きなときにここから水を注ぎ、持ち歩く。かつては、よくホテルに入るときに近くの店でペットボトルの水を買ってから帰ったものだ。今は、その必要がなくなってきている。水を買ってペットボトル容器をプラスチックゴミとして排出しない精神の浸透を感じる。同じく、アメリカのスーパーマーケットでは、もう無料のレジ袋を見ることはほぼ皆無。エコバッグを持っていくか、15セントくらい払って優良のリサイクル紙バッグを買うか。

環境問題、プラスチックゴミの問題をどう「自分ごと」にできるか。小さな行動の総和が社会を変える。そこを橋渡しする”自然な環境”押しつけではない、変化。それをビジネスも社会も、できるところから始める。行動が習慣を変え、習慣が人格を変える、という。そんな「自分ごと」化の工夫がうまい。思えば、そもそも、日本人には”風呂敷”という世界に類を見ないエコな文化を持っていた。環境的にも、美的にも、機能的にも優れた習慣。日本人はエコなDNAで先頭を走っていたのだ。


次に「自分らしさ」。イーロン・マスク率いるテスラの試乗車に触れてみた。リコールとか経営状態とか色んな評価はあるが、やはり、この車に触れると、良い意味でのcrazyさ、とことん「自分らしさ」をモノに投影する潔さを体感できる。車内は巨大なタッチパネルで、ネットやカラオケまで出来る仕様。車には30台以上のセンサーがあって、衝突を避ける。そして、目的地まで自動運転で運ぶ。未来が実用化されるプロセスを体感できる。こういう「やんちゃな」発想や挑戦を許容する社会の空気、規制の柔軟さ、そして教育がある。日本はどうか。はみ出る者、尖る人、リスクを取る人には、まだまだ「よくやるね」という空気が強い。経済的に成功したら多少は評価されるが、それでも、まだ視線は温かいとは言えない。成金的扱いも根強い。人は、自分の好きなものを見つけて、「自分らしく」熱中し、挑戦するときが一番幸福なはず。そんな日本に近づけていくときだ。


そして「自分どうし」。欧米で思うのは、レジの女性、バスの運転手、売り場の店員さん、色んなところでとにかく良く挨拶する。声を掛けてくる。今回も、レジで並んでいると、前のお客さんとレジの店員が「これ、美味しいのよ」「私も好きだわ」などと世間話で盛り上がって待たされる経験をした。日本だと、無駄口叩かずに急げ、という感覚だが、こちらでは、知らないどうしが自然に会話を始め、言葉を交わし、共感しあう。ホテルの中で客どうしが、レストランで隣のテーブルどうしが会話することもごく自然。今回の滞在でも、隣の客から「ここのステーキ美味しいから頼んだ方がいいよ」と話しかけられたこともあった。ネットやSNSで、自分の知っている人、好きなこと、興味のあるテーマに埋没する「タコつぼ」的人間関係が増えている。目の前にいる同僚にも電子メールで用件を伝える。他方で、孤独死、孤立した育児、引きこもり等々、人と人とのつながりは希薄になり、出会った人、すれ違う人と、言葉を交わすなんて、面倒で、危険で、気持ち悪い、という社会に私たちは移行しつつある。人と人が自然体で言葉を掛け合い、会話を始める。そんな社会にならないと、私たちはもっと離れ離れになる。大事なのは、「他人どうし」ではなく、「自分どうし」。自分の考えや好みがあってもいい。でもそんな異なる人どうしがつながる暮らしをつくりたい。


「自分」を深めれば、「社会」から離れていく、他の人から遠ざかる、というトレードオフはなくしていきたい。「自分」を深めるからこそ、「社会」とつながり、他の人とも解り合える、そういうスタンスで日々の暮らしをつくっていかなければ、と考える。

1