理想の「私」とは?

あなたは今、理想の自分になっていますか?

幼い頃から想像した、あの理想的な大人になれていますか?

今年で二十歳の誕生日を迎ました。しかし、ふと「え、もう二十歳?思ってたのと違う。」と感じることがあります。幼い頃に見上げていた家族・先生を始め、街中で見る見知らぬ大人までも、今の自分よりもはるかに「しっかり者」に見えたのです。二十歳になって、様々な面で「大人」と認められる年齢になったにも関わらず、私は昔見上げていた「しっかり者」には達していないことを痛感します。

CLOVERに入会してから、茨城県牛久市にある東日本入国管理センターへ出向いて、数多くの難民を始めとする海外の方々とお話しさせていただきました。バックグラウンドが自分とは全く違う方がほとんどで、宗教的・政治的迫害を受けて逃れてきた難民らの悲痛の声も生で聞いてきました。

ある印象に残っている方の話です。「僕は、日本は僕らを受け入れてくれる優しい国だと思っていた。僕の国では、争いは絶えない。意を決して日本にやってきたのに、もう何年も申請が却下され、仮放免も認められず、刑務所のようなこの施設で、家族友人とも会えずに4年が過ぎた。毎日が苦痛だ。別の国にすればよかった。」このような内容をおっしゃっていました。この方も住んでいる東日本入国管理センターでの生活環境は、ハンガーストライキで死亡者を出すほど酷いもので、度々ニュースでも取り上げられます。

日本の難民認定率は、先進国の中で最低です。申請には、分かるはずもない日本語の書類を書かされ、本当に迫害を受けていた方は持っているはずもない「迫害を証明する書類」の提出を求められます。日本の「難民」の定義の解釈もかなり狭く、受け入れたいという姿勢が全く見受けられないという声も多方面から見受けられます。

私ならば、命を懸けてやってきたこのような難民の方に、サポート無しにこのような厳しい制度を設けるなんてできないと思ってしまいます。しかし、このような法制度・言葉の正式な定義を行うのは、いつか幼い頃に見上げていた「街中のしっかり者の大人たち」だったのかもしれないと思うと、ゾっとします。難民を偽装難民や経済難民などと見分けるのは困難であることも、受け入れすぎると日本の体制が崩れる可能性があるのも十分に承知です。しかし、ヨーロッパを始め、多くの先進国らは難民受け入れのために努力しています。日本も見習って、もっと何かできるのではないだろうか

「しっかり者」の中には、日本の難民制度でいうと「日本の方針に乗っ取って言われたことをする者」と「常に疑問視する視点を持ち、方針の中でおかしいと感じる部分があれば、自身で変えていく努力をする者」がいます。私は、来週、いや来年になっても、自分が思い描いていた「しっかり者」にはなれないかもしれません。ですが、私は後者のような「”芯を持つ”しっかり者」という理想の自分を、CLOVERの活動を通して発見できました。

これを読んでくださっているみなさんも、いつしか街中でお会いするかもしれません。

その時には、あなたも私も、子供からは単なる「しっかり者」とみられるでしょう。

この記事を最後まで読んでくださったみなさんも私も、お互い「“芯を持つ”しっかり者」同士として出会えることを楽しみにしています。私は、今後もCLOVERの活動に熱心に取り組むことで、一歩でもこの理想の自分に近づけるよう、CLOVERの一員としての道、そして人生の道のりを歩んでいきます。

筑波大学文化系サークル連合「CLOVER~難民と共に歩むユース団体~」

副代表、生命環境学群3年 ボンド