海内存蹴球 天涯若比隣

まえがき

初めまして。相場東磨という者です。東北大学HORNETSで、アナライジングスタッフと呼ばれる戦術・戦略の分析スタッフをしております。

私の部活動に対する想いについて、徒然なるままに書かせて頂きたいと思います。

チームについて

東北大学学友会アメリカンフットボール部HORNETSでは、「東日本制覇」を目標に掲げて日々取り組んでいます。

日本の大学フットボールは、秋から冬にかけて全日本規模の選手権が開催され、秋になると北は北海道や東北から南は中四国や九州(沖縄含む!)まで、一斉に各地方で大学のリーグ戦が始まります。そこで勝ち抜いたチームが、各地方の代表校として、トーナメントをして日本一の大学を決める、というのが日本の大学フットボール界の構造です。そして、そのトーナメントは、西日本と東日本の山にそれぞれ別れており、決勝は阪神甲子園球場で、東日本の代表校と西日本の代表校が対決するのです。それ故に、この試合は甲子園ボウルと銘打たれています。この甲子園の地に出場することが、我々の目標です。

しかしながら前述の通り、全日本のトーナメントの形を取っておきながら、そのようなトーナメントの形になって以来、高校アメフト経験者の多い関東と関西の大学以外、すなわち地方リーグからその地に立った大学はいないのが我々の現状です。だからこそ、我々が関東を倒して日本のフットボールの歴史を変える、それが目標となっています。

アナライジングスタッフという生き物

前述の通り、私は戦術・戦略の分析スタッフをしているのですが、他チームや自チームの戦術や戦略を、数字という面を主にしながら、分析し、それをコーチと一緒に戦略立案に還元したり、練習に落とし込んだりしています。

このプロセス自体、私にとってとても興味深いことなので、機会があればまた記事にでもさせて頂きたいと思います。

アメリカンフットボールというスポーツはフィジカルコンタクトのタフさとは裏腹に、戦術がとても奥深い競技です。したがって、プレーができないながら、あるいはプレーができないからこそ、チームの勝敗に大きな影響を与えられること、そして選手とは違った角度からフットボールの奥深さを味わい、究明できること、それがアナライジングスタッフのやりがいです。

フットボールへのリスペクト

最後に、私がなぜ東日本制覇に熱量を注ぐのかを語らせて頂きます。それは見出しの通り、フットボールという「カルチャー」に対するリスペクトです。

ほとんど全部員がアメフト未経験者である僕のチームでは、勝つことそのものに魅力を感じて入部する人がほとんどで、私もその1人でした。ただ、今となってはそれだけに留まりません。むしろ、勝つことは一種の手段であるとまで考えています。

前提として、私はアメリカンフットボールが大好きです。中でも前述の通り、戦術・戦略といった面の果てなき深奥さに魅せられています。では、何故にアメリカンフットボールの戦術は、ここまで発展したのでしょうか?

その答えは、日本ではなく本場アメリカのフットボールとその環境に見いだせます。

まず以て言えるのは、「ビジネスとしての規模」です。本場アメリカのフットボールは、大学からプロまで、日本とは比べ物にならないほどの市場規模を誇っています。それゆえ、アメリカのフットボール市場においては、ヒト・モノだけでなく、勝つための「情報」すなわち戦術の知識等が、大きな価値を生み出しています。そうであればこそ、チームの垣根を越えて情報が行き来し、その下で戦略的進化が繰り返されてきました。

では、本当に本場アメリカのコーチは「金になるから」の1点のみで「勝ち方」もとい「情報」を他チームにシェアをしているのでしょうか。僕は、それだけに留まらないと思っています。

本場のコーチによる講習会の様子が、ネットに公開されているのを見た時、そのコーチが「質問や聞きたいことがあったら何時でもメールやDMをしてね。私は情報をシェアすることが大好きだから!」と語っているのを目の当たりにしました。そこには、単なる損得勘定のみに留まらず、「フットボールへのリスペクト」があると私は思っています。彼らも私と同様、フットボールの戦略的進化に魅せられ、なおかつ自分たちがまたその進化を起こすことに憧憬を抱いているからこそ、「損得を越えて情報を共有し、フットボールをより良いものにしていく」という、フットボールというカルチャーへのリスペクトを持っているのです。その基盤の上にこそフットボールの進化は成り立ちうるのです。

文化とは、「出来上がる」ものではなく、「育てていく」ものだと私は考えます。例えば、有名な画家の絵も、初めから売れている絵などなく、市場価値が低くお金ならずとも正当に評価し、買ってくれる画商が居たからこそ、市場価値を得られたのでしょう。そこに物差しが「損得勘定」しかなければ、文化は死にます。

では、日本のフットボールはどうなのでしょう?

前述の通り、カテゴリーを問わず、勝っているチームが固定化しているのです。その上、そのようなチームも、10年前とやってる事が大きく変わっていません。日本のフットボールは、目先の勝利のために、フットボールというカルチャーを犠牲にしているように思えてならないのです。

だからこそ私は、地方の国公立大学で勝ちたいのです。私の理想論は、結果がついてこなければ綺麗事でおわります。フットボールへのリスペクトで敗北を正当化している、という批判も免れえないでしょう。ですので、我々が勝たなくてはなりません。

結びにかえて

随分と大きな風呂敷を広げてしまいましたが、「損得を度外視してカルチャーを育てる」ということは、私の目指す生き方そのものに他なりません。私には、文化ないし知の生産者たりうる素養と気概はございませんが、だからこそ本物の消費者でありたいのです。フットボールを通じて、馬鹿を見る正直者であれたら、私にとってこの上ない幸せです。