プロフィール
名前 : 石井 直方
所属 : 日本ボディビルフィットネス連盟
役職 : 副会長
応援メッセージ
このジュニア選手助成公募事業を通して、ボディビル・フィットネス競技の国際競争力が向上し、若い世代により普及して選手数が増加していくことを期待しています。
【プロフィール】
公益社団法人 日本ボディビル・フィットネス連盟 副会長
東京大学スポーツ先端科学研究拠点 拠点長
東京大学総合文化研究科副研究科長
全日本学生ボディビル選手権大会優勝(1976年、1977年)
日本ボディビル選手権大会優勝(1981年、1983年)
アジアボディビル選手権大会ライトヘビー級優勝(1982年)
世界ボディビル選手権大会ライトヘビー級7位(1986年)
東京都出身。暁星中学校・高等学校を経て、東京大学に進学。理学部生物学科に進み、筋肉の研究に従事。理学博士。日本における筋肉研究の権威として知られ、著書も多数ある。
また、一方で日本を代表するボディビル選手・パワーリフティング選手としても知られる。東大入学後に東京大学運動会ボディビル&ウェイトリフティング部(B&W部、通称:ビーダブ)に入部し、瞬く間にトップ選手に成長。
1975年から関東学生パワーリフティング選手権で6連覇、1976年から全日本学生パワーリフティング選手権で2連覇、1977年には全日本学生ボディビル選手権優勝など数々のタイトルを獲得する。
大学院進学後の1978年に東京ボディビル選手権大会(ミスター東京)で4位入賞。
翌1979年に日本ボディビル選手権大会(ミスター日本)で5位入賞。
1980年に日本実業団ボディビル選手権大会で優勝し、その翌年1981年にミスター日本のタイトルを獲得する。
その後は1982年にIFBBアジアボディビル選手権大会90kg以下級(ミスターアジア)で優勝し、1983年には再度ミスター日本のタイトルを獲得した。
数年大会から遠ざかった後、東京大学理学部生物学科に助手として勤務していた1986年にIFBB世界ボディビル選手権大会(ミスターユニバース)で7位を獲得している。
同時代に表彰台を争った日本国内のボディビルダーには宮畑豊、小山裕史、朝生照雄などがいる。
特に宮畑豊(トレーニングセンターサンプレイ会長)とは日本選手権や世界選手権などに向けてトレーニングパートナーも組んでいた関係で、石井直方のボディビルにおける師匠的な存在でもある。
その後は国費留学生として英国のオックスフォード大学に1年半滞在。この時代に研究者としても大きなステップアップを果たしており、留学時代の研究成果を基にした論文が科学雑誌『サイエンス』誌に掲載されている。
この頃からヨーロピアンマッスルクラブという筋肉関係の基礎研究を行う研究者グループとの交流も始まっている。
帰国後は東京大学理学部生物学科の助手を経て、同大学総合文化研究科の助教授に就任し、同研究科の教授として現在に至る。現在は総合文化研究科に加えて、東京大学新領域創成科学研究科の教授職も兼担している。
1982年 東京大学 理学博士。論文の題は「軟体動物平滑筋から単離した単一筋細胞の力学的性質とその構造的基礎」。 【著書】 『スロトレ』(高橋書店)、『5つのコツでカラダが変わる! 筋力トレーニング・メソッド』、 『体脂肪が落ちるトレーニング―1日10分〈クイック→スロー〉で自在に肉体改造』 他、多数