こんばんは。遅くなってごめんなさい。
のぞみさんからまわってきた学問についてお話したいと思います。
僕が大学で専攻しているのは政治学です(好きというわけではないんですが)。
いつも政治学を学んでいるというと、「政治家になりたいの?」とかいう単純な質問が度々来ます。いつもはその度に説明するのも億劫なので適当にあしらって受け答えしますが、政治学といっても政府について、国の政治についてのみを学んでいるわけではありません。
まず、政治というのは”ある共同体において起こった争いを解決する行為”を意味します。そのため、その共同体が小さな農村の集まりのことを指す場合もありますし、民族の単位を指す場合もあります。政治学はその争いを解決する過程で生まれる考えや概念について学びます。主に、歴史を中心とした過去のことについて扱っていて、思想とも関連します。
なので、別に僕は今の日本の政治について変えたいなんて思ってないですし、政治家を目指す気など毛頭ありません(国の政治に興味ないわけではないですよ)。
ところで、皆さんは支援についてどのような意識、目的を持っていますか?
よく尋ねられることがありますよね。特に今のように国内、内輪の状況が厳しいと「そんなことより他に優先すべきことがあるだろ」と非難の声があがることもしばしばです。
また、支援活動をしていると「偉いね」とか「ありがとう」とかいう敬意や感謝のまなざしを向けられることもありますね。
メンバーのみんなもそういう感謝の声を糧に頑張る人もいれば、現地の、ラオスの子どもたちを思い浮かべて努力する人もいると思います。
これはあくまで僕の、一個人としての意見で全く違う考えの人もいると思いますが、聞いてもらえると嬉しいです。
僕としては、支援に対して他人のために行っているという意識はありません。あくまで自分のため、自己の利益を目的としています。シビオという国際協力団体に入るきっかけとしても、今の活動の思いとしてもその思いが強いです。
最近の授業の中で、ふとこのことを思ったのでその内容を少し紹介します。
アメリカ憲法についての授業でしたが、アメリカの憲法は起草から200年以上経っていてもなお色褪せることなく現在も手本として世界的に評価されています。ですが、起草を始めた当時はそのような評価を得るというような目的で作られたわけではありません。さまざまな階層、立場の人が自己の利益を主張し合い、鎬を削り合った結果生まれたのが現在の憲法でした。
なにが言いたいかというと、このように個々が互いに利益を求めあった結果、全体の利益に繋がることは少なくありません。僕は、必ずしも他のために活動する必要はないのではないかと思うんです。もちろん独り善がりの主張では駄目ですが、自分のために活動してもいいのではと思います。
僕は異国の文化・価値観に触れてみたい、他大学の人と交流したい、同じ目的を持った人と関わりたいと思っていまここにいます。
得るものはとても多いですし、なにより楽しく活動できます。
だから、「なんでラオスなの?」「支援なんて今やることなの?」という風に聞かれたときに自信をもって答えられると思います。
「自分がやりたいから」「今しか、学生のうちしかできないからやってるんだ」って。
(この話はメンバーというよりそのほかのいちゃもんつけてくるような人に向けて言いたかったことです)
まじめなはなししちゃってごめん。
つぎはきっぺいですね。なんか今できる暇つぶしの方法でも教えてくれ。