「ありがとうございます!」
あやとと会話していると、この単語が気持ちよく返ってくる。
Katharsis運営の1人である藤原あやとはそんな人間だ。
“ありがとう”を素直に言えない人って、一定層いると私は思う。
一方で、“ありがとう”を心から言いたくなる人っている。
その人たちの違いって何なのだろうか?
あやとと話していて、「相手に対して見返りを求めているかどうか」の違いだと思った。
皆さんは困っている人に何かをしてあげるとき、見返りを期待して行動に移すだろうか?
自分はこれをしてあげるんだから、あなたはこれをしてくれるよね?と言外にみえるやりとりを私は何度も目にしてきた。いわゆるGIVE&TAKEというやつだ。それって、当たり前のようにされている会話だけど、あまり気分がいいものではない。
あやとがこの私のもやもやに答えをくれた。
「GIVEするってよく言うじゃないですか。自分の根幹ってGIVEすることなのかなって思う。人に何かもらおうって思わないようにしている。」
彼の人生の軸を聞いたときの返答がこれだった。
では、彼はなぜこう考えるようになったのか?
小さいころの家庭環境がベースになっているとあやとは語る。
「子供のころから家事の手伝いが好きだった。」
小学校一年生のころから家の手伝いをしており、そのたびにお母さんがどれだけ忙しくても“ありがとう”という言葉をかけてくれたという。その家庭でのプチ成功体験をもとにありがとうと言われることを無意識のうちにやるようになっていった。
もちろん、そんな彼でもずっと順調だったわけではない。
立場が変われば反発する人も出てくる。高校で生徒会長になった時それを痛感したという。
「学校を変えようと息巻いていたけど、一個の組織のトップに立つと、批判層が絶対に出る。何か施策を打とうとすると利益相反が生まれる」
そんな中、彼はすべての人に誠実であることを選んだ。
生徒総会では部活や生徒にとってマイナスになるであろうことも公然と発表し、それでもこの活動をするわけを説明し、納得してもらおうと努力した。
誰にでも嘘をついて、いい顔をするのは簡単かもしれないが、これは自分の軸がないと難しいことだと思う。
そんな彼の目指すのは、自分が何かを達成するよりも“誰かに影響を与えられる人”になることだそうだ。
京都大学経済学部に所属するあやとは、自分自身が優秀でありながらも、人への感謝や敬意を表することを惜しまない。
そして、自分自身が相手に対して出来ることを“やりたいから”やる。
自己欲の見え透いたやり取りが横行するなか、あやとという素敵な考え方の人とKatharsisを通して関わることが出来て嬉しいなと思った。