カタルシスのこの一年

こんにちは。静木銀蔵です。
実は先日、カタルシスの1周年記念日でした。

1周年の日にいろんな人と語り明かし、祝いたかったです笑
コロナが治ったら盛大に少し遅れの1周年記念営業をしたいですね。
 ↓↓限定の1周年記念の催しもしているので覗いてみてください。
カタルシス1周年記念&コロナ追い出しコンについて


では、前回の続きです。
今回はこの辺について語れれば。

・ カタルシスを始めてから
・ カタルシスの今


カタルシスを始めてから

という見出しですが、まだ具体的にどうやって立ち上げたかを書いてなかった。
まずはそこから。

カタルシスを起業するにあたって(まあ何かを始めるには大概の場合)

ヒト・モノ・カネが必要だ。

カタルシスの場合でいえば
ヒト=立ち上げのメンバー、最初のお客さん、応援してくれる人たち
モノ=店舗となるテナントやBARの内装、お酒とかグラスとか
カネ=家賃や内装工事費、そして店を経営していくランニングコスト

などだ。
それらをどうやって集めたかは先述の1周年記念のクラファンに書いてある。

ここでは、なぜ若干の学生数名がこれらすべてを用意できたのかを書こう。

今思い返せば、初期のカタルシスのビジネスモデルの脆弱性は明らかであった。
外枠のビジネスという観点では、この段階では外側から可能性を感じ、何かを投じるのは難しかっただろう、と思う。

しかし、そんな状態でも必要なヒト・カネ・モノを全て揃え私たちはスタートラインにたった。


その重要な要因は、「理念」と「恵まれた関係性」だと思っている。

まず前者について 
「人々に未知なる選択の可能性を」 現在カタルシスが掲げるビジョンである。

当初この言葉は使っていなかった。

だが、届けたい感動、前回言及したい共有したい感動体験、のようなものが一貫してあり、それに多くの人が共感を産んでくれた。


そして後者について
「恵まれた関係性」

あいつが頑張っているから応援しよう、その応援のために自身の何かを預けることが出来る、そんな関係性の相手。

あなたは何人いるだろうか。

純粋に僕という人間を応援し、何かを預けてくれる人の多さに感動した。

僕は斜めな人間だ、友情、愛情、多くそれらがまやかしに見えることも多い。

が、少なくともこの時は、卑近な言葉ではあるが「本物」を信じざるを得なかった。



学生起業、ある意味それは修羅の道である。
かつての僕は選ばなかったであろう、王道からはずれる道。

周囲から奇怪な目で見られることも、嫉妬や不理解から揶揄されることもあろう。

自身が不安になることもあろう。


しかし、スタートラインに立たせてくれたそれらが

僕に、カタルシスを誇らせてくれる。


話が逸れて長くなってごめんなさい笑
本筋に戻る。


斯くして、カタルシスは2019年5月7日、その店舗「語りBAR katharsis」をOPENし始まった。

開業から一年の間、本当に多くのことをした。

多くのコミュニティーの属するワカモノが集い、語りあい、お互いに新鮮な世界が広がる夜。

多くの社会課題や一つの問題について、様々なバックグラウンドを持つワカモノが集い考えを語り合う夜。

学生間では得られない選択肢を提示してくれる社会人や企業とのイベントをする夜。


詳しいイベント例はまたどこかで(少しなら先述のクラファンの文章にあります)

ここからはこの一年間、カタルシスが追求してきた価値について言及しよう。


先ほど現在掲げるビジョンを挙げた。

「人々に新たな選択の可能性を」

ここに何が込められているのか、カタルシスが作りたい世界とは何なのか。



自分が今選んでいる選択肢は最高の自己実現に繋がっているのか。

もっと平易な言い方をすれば、今選んだその道が最も幸せな人生を歩む道なのか。

そんなの分からない。


だから多くのワカモノは考えを放棄し、今の選択肢を盲信し疑わない。


みんなが入るから部活に入る。

学校の卒業に必要だからこの勉強をする。

時間がきたから就職活動をし、会社に入る。


その選択の中でもそうだ。

バスケ部に入っている奴は、将棋部に入る選択肢を知らない。



もちろん、どの選択がその人の幸せか決めるのはその人自身だ。


だが、

多くの選択の可能性を知った上で、比較し検討し道を選び最高を追い求めるのほうが

一つの選択肢に盲信的にすがり、これが最高の選択だと結論づけるよりも

「良い」のではないか。


バスケ部、他の運動部、文化部、部活に入らずバイトに明け暮れる、放課後は勉強する、そのほかの全く違う様々な選択肢を知り、考え、その中で選んだバスケの道は

バスケ部しか見ずにバスケ部に入り、ふと振り返った時にそういやバスケ以外にも何かあったのかな、と思うよりも

「良い」のではないか。


少なくともカタルシスはそれを「良い」とし

今知らない別の選択肢を知る、そんな機会を提供することを価値としている。


今の若者に他の選択肢を知る手段って降りてはこない。

「就活」という選択肢 、 「研究」という選択肢、 「起業」という選択肢、  「留学」という選択肢、 「世間的に良いとされる選択肢から逃げ、引きこもる」選択肢 ・・・・

その選択肢に関する情報は現在多くの場合、能動的に得に行かないと手に入らない。

しかし、多くのワカモノは何らかの犠牲(時間であったり、世間体であったり、道に飛び込むこと自体への恐怖を感じる場合もある)を払い、能動的に選択肢の情報を取りに行くことを億劫だと思い、現在の選択肢を正当化し盲信する。


そんなワカモノが自身の選択肢を広げるのに、楽かつ効果的なのが、その選択肢を知ってる人と直接語る、そんな繋がりだ。


カタルシスは、
様々な選択肢を持つワカモノたちが相互に語り合い、繋がることで、お互いの知らなかった選択の可能性に気づく「きっかけ」となる機会を提供する。

そういう会社である。


長く、拙かったかもしれないが、これがカタルシスの掲げる

「人々に道なる選択肢の可能性を」というビジョンに込められた思いだ。


これから京都の大学生に留まらず

全国の、そして大学生だけでない多くの人々にこの価値を届けていきたいと考えている。

が、詳しいカタルシスのこれから

そして僕 静木銀蔵のこれからについては、また次回。


では。

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