学生起業"カタルシス"は何をどう変えうるのか。vol.1




初めまして、カタルシスの1人まさなりです。

"カタルシス"のってなんやねん、まずカタルシスって何?

と思われると思いますが、ここで言うカタルシスとは、私を含め京大生4人と同志社生1人によって始まった学生企業です。具体的にどんなことをしているかは、この記事の終盤あたりでお話しする予定です。


実は、初めましてではありません。

この文章の下書きを書いてそのままにしてたら、Google Chromeさんが体調を崩され、めでたく私の文は消えていかれました。このご時世だから仕方ないと思うことにして、私だけ2回目という事で、(前回の復元じゃなく、新作と思って書いてないとやってやれないので)、そのつもりでお付き合い頂けると幸いです。


何言ってるんでしょうね。

気を取り直して、今回は

カタルシスの活動によって何がどう変わっていくのか

についてお話できたらいいなと思います。

実はこの内容は簡単には説明できるものでは無いので、vol.1となっています。

 

全体構成

  1. どんな問題に取り組んでいるのか?
  2. その問題が解決されていない原因は何か?
  3. 私たちはそれに対して、どう解決していくのか?


今日は、1についてお話出来ればと思います!


  • いきなりですが余談(忙しい人は読み飛ばしてOK) 

先程は自己紹介すら無くごめんなさい。

一言だけ説明すると、実はこの人カタルシスのvisionとなる土台を持ち込んだ人なんですよね。今となってはメンバーも増えそれぞれが、カタルシスを理解し、解釈して自らが納得出来る価値を届けようとしているだなということを、これまでのカタルシスのメンバーの投稿を見て実感し嬉しく思いました。


visionと言うのは、本人がその価値を心から実感できてないと何の原動力にもならない、そういう意味で十人十色の落とし込み方があり、その色とりどりの彩やかさのなかに、私が思うカタルシスの色が今もある。そして、それらが全体として絵になってる、私はその絵を見るがとても好きです。

彼らは(僕もですが)、カタルシスの価値を最初に届けられたお客さんであり、その仲間であるのです。


とまぁ、なんですがカタルシスによって何がどう変わるんだって事ですよね。

すみません、余談はここぐらいにして、私なりのカタルシスの意義について説明していこうかと思います。



  • 私たちは何を変えるのか

突然ですが、3/20日って何の日か分かりますか?

色んな声が聞こえてきますね、

「チュニジアの独立記念日」 「電卓の日」

そうなんですね...

ここでの答えは、「国際幸福デー」です。

この日には、重要なイベントがあって、それは国連から昨年度の世界幸福度ランキングについてまとめたレポートが公開されるのです。


さて、日本は何位だったと思いますか?

 

答えは、過去最低を塗り替え62位です。残念。

なんで毎年下がり続けてるんでしょうね。統計に穴があるんじゃないか?とか言われますけど、この調査一体どんな調査かというと、自身の主観的幸福を0-10で採点して答えてもらうという方法なんですね。

 

あなたは自分の幸福度は何点だと思いますか?私はそうですねぇ、幸せです。

 

とまぁ、調査は実はこれだけでなく、そこで得られた点数を、実際の幸福を構成すると考えられる6つの観点から説明しようとという試みがされているんです。

その6つはというと、

  1. 1人あたりのGDP
  2. 健康寿命
  3. 社会的支援
  4. 人生選択の自由度
  5. 寛容さ
  6. 社会的腐敗 

 

日本はこのうちどれが低かったと思いますか?

 

答え(62位よりも低かった項目)は、「人生選択の自由度」と「寛容さ」です。なるほど。実は統計の取り方がおかしいとか言われてる部分もあるんですけどね…笑。

 

もうひとつ面白い事に、実は日本はこれら6つの項目を単純に合計した値は、他の国に比べて比較的高く、その割に主観的幸福度は低いという結果が出ています。

どういう事かと言うと、

  「客観的に見れば (仮にこれら6つの指標がそうだとすると)、もっと幸福であるはずなのに、当の本人たちはそうだとは思っていない」

ということになります。なるほど。面白いですねぇ。

この観点は大切で、何故私たちの空間のコンセプトは「語り」なのか、という部分で後々効いてきます。

 

とまぁ、遠回りしましたが、私たちが取り組もうとしている問題は、この6つで言うと人生選択の自由度です。

これが「私たちの何を変えるのか」に対しての、「何を」になるんですが、このままではまだ抽象的すぎてどうアプローチして行くのか分かりにくいですよね。

 

実は、先程の「実在している幸福と認識している幸福に隔たりがある」という観点が大切で、その観点を切り口に人生の選択肢について考えていくのですが、今日はみなさん読むの疲れたと思うので、また次回にします!

嘘つきました。本当は、僕の腕が疲れてきたからです、ごめんなさい。

ここまで読んで下さってありがとうございます!

   

次回は、どうやって人生選択の自由に切り込んでいくのかお話しますね!

それではお元気で!







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