スーンの活動を考える〜ゼミ活動からpart1

こんにちは!スーンのちーなです。
写真は、ラオスのレストランからの写真です♪

突然ですが、私は人権教育のゼミに入っていて、今はパウロ・フレイレの『希望の教育学』をゼミのみんなで読み進めています。スーンにつながると考えたことがいくつかあるので共有したいと思います。


 「先生はぼくがどんなところに住んでいるかご存知ですか?」

フレイレが、体罰的なしつけがいかに権威的な社会形成と結びつくかを保護者相手に講演した後、フレイレの元に男がやってきて言いました。

「先生の場合は、たしかに疲れてご帰宅ではあっても、そこには湯上りの、こざっぱりした身なりのお子さんたちがいらっしゃいます。お腹を空かせることもなく、すくすくと美しく育った子どもさんたちです。私らが家に帰って出くわすガキたちは、飢えてうす汚く、のべつまくなしに騒ぎ立てているガキたちです。わたしらは朝の四時には目をさまし、辛くて悲しい、希望とてない一日を、また今日も繰り返さなければなりません。わたしらが子どもを打ったとしても、そしてその打ち方が度を濾紙したものであるとしても、それはわしらが子どもを愛していないからではないのです。暮らしが酷しくて、もう、どうしようもないのです」(pp.28-32)


男の発言でフレイレがどのような気づきをしたのだろうかと、ゼミ内で話し合いました。

事実に基づいたデータを伝えることのみに一生懸命になっていることや、男たちがしつけだと思って体罰している、と考えていたが、男たちは意思に反して体罰をしてしまっていること、相手を理解しているつもりだったが、できていなかったことなどの気づきを得たのではないかなどの意見が出ました。

フレイレのこの出来事を考える中で、
私たちは一体、活動先の子どもたちの生活のことをどのくらいわかっているのだろうか、と強く思いました。

私たちは日本に暮らしていて、子どもたちや村の方々の暮らしをいくら想像しても、完全には理解することはできないのだ、という意識を持つことが大切なのだと思います。
私たちの勝手な思い込みで活動を進めていかないこと、
全部を知るのは不可能だけれど、一部でも知ろうと文献を読むなどして学ぶこと、
家庭を訪問させていただく時には、少しでも何かを感じたいと思うことが私たちが活動する上で欠かせないことなのではないか、と感じました。

 現在スーンでは、全体ミーティングの際にラオスに関する勉強会を毎週開いています。少し負担は大きいかもしれませんが、引き続き取り組んでいきたいと思います。

大変長く、何が言いたいのかよくわからない文章になってしまったかもしれませんが、
最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回もフレイレの活動からスーンの活動を考えてみたいと思います。

ちーな
参考文献:里見実訳『パウロ・フレイレ希望の教育学』太郎二郎社2001