こんにちは、スーンのぺんです!
先日祖母と電話した時に、「昔はもったいないばっかりで、色んなものを大切に使ったものよ」と聞きました。ご飯は1粒も残すな、壊れたものは修理しろ、と再三注意されたそうです。
今日の消費社会では、何かを大切にする機会というのが減っているような気がします。あくせく働き、自分の好きなものにお金を使う。壊れたら新しいものを買う。自分のため、仮にその範囲が大きくても自分の家族のため。資本主義ですから、何の問題もありません。というかそれを問題としていた王政時代こそ問題です。
ただ、私はイデオロギーのせいにして、他者のことを考えない世界はそれはそれで違うと思います。自由経済を主張したアダム・スミスでさえ道徳の重要性を説いたように、資本主義は利己的な精神のみでうまくいくほど簡単なシステムではありません。
私たちのしているボランティアは、元は志願兵という意味がありますが、通ずるところ無償で何かしら誰かの役に立とうという精神に立脚しています。
考え無しのボランティアが危ないということは重々承知のうえで、私はボランティアの機会は増えるべきだと考えます。とりあえず誰かのために無償でやってみる。ごみ拾いくらい小さい子でもできます。もったいないの精神が薄れ、殺伐としている世の中にこそ、人間的な潤いをもたらすものがボランティアではないかと思うのです。
そんな余裕無いわ!!という人も多いことでしょう。学生、社会人、老後の方、時間こそ最大価値ですし、悠々と生きていける世界ではありません。でも全員がそうでしょうか?ごみ拾い1つにも時間が無い方は思いの外少ないことでしょう。
私はボランティアを通じて、広く人のためになることを考える機会を得られました。他人事のようになりますが、是非そんな機会が世の中に広まって欲しいと願うばかりです。私たちは私たちとして、ラオスの子どもたちに支援をし続けます。