『遊ぶ』ースーンで今後チャレンジしたいことー

こんにちは!ラオス学校建設教育支援プロジェクト~スーン~のぺんです!
今回は今後スーンでチャレンジしていきたいことについて話したいと思います!!

さて、私の所属している文化構想学部は通称「遊文構(あそぶんこう)」と呼ばれています。まあ、なんというか、遊んでる大学生が多いからなんでしょうね。どんなイメージかは定かではありませんが、おおよそ、ろくに授業も受けず勉強もせず麻雀しては飲んで色事に勤しんでいると思われているのでしょう。よく言われます、お前らいつ授業受けてるんだ、とか。遊んでばっかりやな、とか。私自身はそんなに遊んでいないと思っていますが、理系の方の苦しさを見るとやはり遊んでいると思われても仕方ないのか…と思うときはしばしば。

さて、そんな「遊ぶ」ですが意味としては「 何もしないでぶらぶらして時を過ごす。決まった仕事・職がなく暇でいる。 」「 飲酒色事ギャンブルなどに身を入れる 」などがあります。いわゆる遊文構の遊ぶはこれですね。(うーん、やっぱり文構生は遊んでいるのか…)要は快楽に身を任せている状態です。

しかしながら、遊ぶには実はとても重要な別の意味もあります。「スポーツ趣味など好きなことをして楽しい時間を過ごす。 」「見物勉学のために他の土地へ行く。 」という意味です。これはいわゆる娯楽や快楽の赴くまま行動している「遊ぶ」ではなく、「何か身の入ることに没頭する・勉強する」ことを表しています。そもそも、「あそぶ」とは古文において詩歌管弦を楽しむことでありました。よって快楽に身を任せることだけが遊ぶではないのです。何か楽しむために力を込めて活動すること、それが遊ぶなのです。ですから飲みまくって勉強もせず働きも活動もしない、その遊ぶは「遊ぶ」と書いて「すさぶ」と読む遊ぶなのでしょう。終日飲みに明け暮れ勉強も行動も起こさない人は「あそ」んでいるのではなく「すさ」んでいるのです。(遊文構をすさぶんこうと読むと途端に恐ろしさが増しますね)

ですから私は遊び(あそび)にはとても大きな意味があると思っています。人は遊ぶとき、何か身体を動かして活動し、世界と関わります。自ら自分を社会の中に入れて他者と交流し、情をつくります。これこそ遊びの効果であり、遊びの本質なのです。小学生の頃、放課後外に出て友達と鬼ごっこや野球、カードゲームやDSなどで対戦ゲームをしていた、あの「遊び」はれっきとした「あそび」であり、たとえテレビゲームでも「すさび」ではなかったのです。自分と他者の間に社会を創る。うまく調整して相手との歩調を合わせる。そしてお互いの情を深めるなど、何かを共に達成する。こういったことが為されていたのが遊びであったわけですね。

前置きが長くなりましたが、私はラオスの子どもたちに「遊び(あそび)」をもっと体験してほしいと思ってます。私たちの行く学校には遊具も少なければ、ボールなどもほとんどなく、このような環境では健全な「遊び」のレパートリーが少ないままであると思います。今年は渡航できませんでしたが、授業動画プロジェクトを通して「竹とんぼづくり」か「アルプス一万尺」など「遊び」になるものを届けようと思っています。また来期渡航できた時には、「竹とんぼ」でも「アルプス一万尺」でも、子どもたちが「遊び」を体験できる文化を伝え広めたいと思っています。願わくばそれが学校に続く一つの文化になってほしいと考えています。

遊文構ではなく遊文構として。この漢字の読み方はもうお分かりですね笑
遊文構の民として、子どもたちに「遊び」を広めたい。これが今後団体でチャレンジしたいことです。実現に向けてこれからも頑張ります!!