『楽しい』を『頑張る』の原動力に。

皆さま、お疲れ様です。少し遅くなってしまいましたが、岡山からエールと共にバトンを受け取った綛谷です。秋学期はアーチェリーも、『それ以外』も死ぬ気で頑張りたいと思います。
岡山には何かと助けて貰ったり、上にも書いたように励まして貰ったりと、恩が沢山あります。それらを踏まえて、「しっかり者」、「1番優しい男」というのは、間違ってはいないと思います。何か問題が起きた際には、冷静に対処し対策案を出してくれたり、助けを求めれば、しっかりとこちらのことを考えて策を一緒に出し合ってくれたりというような感じで凄くしっかりしていて優しいです。でも、彼は堅物というわけではなく、すごく話しやすいですし、一緒にいて安心感があります。帰るときに様々な話をしてくれたり、自分の知らなかったことを教えてくれたりもします。そんな彼のことを、自分は『兄貴』のように感じています。「同い年でありながら、なぜ自分とはこんなに違うのだろうか…」と少し悩んだ時期もあるほどです。
そんな彼は、練習の時もしっかりと自分の射を自己分析し、足りない部分を自分で見つけ、1つ1つ確実に改善していきます。エンドが終わった後などに「調子どう?」と聞くと、いつも具体的な答えが返ってきます。その返答で自分の射が良くなったことも少なからずありました。そんな彼の、部活の時でもそうでないときでもしっかりとしている思考力と行動力を見習っていくとともに、いつか彼と同じ景色を見れるよう、これから武両道で精進していきたいと思います。(特に『』は…)
というわけで、彼には、まだまだお世話になることが多そうです…

そんな『兄貴』的な岡山の記事はこちら
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好きでいること|明治学院大学体育会洋弓部《Pando》

好きでいること

岡山晃大
明治学院大学体育会洋弓部





ここからの私の記事では
・自己紹介
・個人的な目標
について書いていきます。


~自己紹介~
 改めまして、法学部消費情報環境法学科1年の綛谷 勇太(かせたに ゆうた)です。
大体、初めましての方には「なんて読むの?」と聞かれます。岡山の記事にも名前の話が出てきましたが、私の場合は「間違える」以前に「読めない」のです。(初見で読めたら相当な知識人ですね。)しかも名字なので、授業などで呼ばれたり、出席を取る際に、必ずと言っていいほど、「えー…これは…」という風に先生が詰まります。幸い学校には「出席番号」や「学籍番号」というものが存在しますので、最悪「○○番の人」と呼んでくれる分には、まだ対処のしようがあるのですが、先生の中には何とか読もうと頑張ってしまう方もいるわけです。その気持ちは嬉しいのですが、そのに周りからの視線はどんどん痛くなってきます。まるで犯人捜しの時にように、隣のヤツとコソコソやりながら、「あいつじゃね?」みたいなのが始まるわけです。そこそこ耳が良いほうなので全部聞こえてますけどね…。
そんな時間を何回も過ごしていると、詰まった時の「」をどれだけ開けずに「かせたにです。宜しくお願いします。」と名乗れば、視線に射殺されることなく、スムーズに進行できるかが分かってきます。つまり、私をはじめとする名字が読めない、読みにくい人たちは、どれだけスムーズに名乗れるかがその後の時間の過ごしやすさを左右するわけですね。悲しい性です…。
さて、つい名字の話で筆が乗ってしまい長くなってしまいましたが、ここからは、私のスポーツ遍歴をご紹介したいと思います。
幼稚園の頃は、体操やサッカーをやっていました。小学校に入ると、球技系全般を幅広く「クラブ活動」としてやっていた他、少年野球のチームにも入っていました。このころから、「野球ならキャッチャーで4番、サッカーならキーパー」というような体格になってきました。つまり、良く言えば「筋肉がついてきた」、悪く言えば「太ってきた」わけですね。
そして、受験をし、男子校の中高一貫に入り、新生活が始まったのですが…なんと、この6年の間、スポーツ遍歴は『ゼロ』です。強いて言えば体育の授業くらい。
小学校でも運動やってたし、中学校でも運動部に入ろうかな、と思っていたはずなのに、まさかの選んだのは、文化部である模型部。これには、マリアナ海溝くらい深い訳があるのですが、ここで詳しく書き出すと止まらなくなってしまうので、「大きな理由としては、趣味が車だったから」ということにして次に行きたいと思います。(分かる人には分かると思います…)
そんな6年間の文化部を経て、無事にこの大学に滑り込みで入れさせてもらい、最終的に選んだのがこの洋弓部でした。
しかし、一番最初から洋弓部に入ろうと思っていたわけではありませんでした。最初は趣味の車を極めようと思い、自動車研究部に入るつもりでしたが、私が入った年にたまたま廃部。その後、何か的を狙うものをやってみたいなと思い、候補に挙がったのが、射撃、弓道、洋弓でした。その中で弓道は、高校の時に膝を壊してしまった影響で正座が出来ないため、最初に候補から外しました。その後、いろいろ考えた結果、洋弓部のTwitterにDMを送り、体験に行き、そこで、アーチェリーの楽しさに触れ、先輩方もとても優しかった為、入部を決めました。実は、初めて体験に行った時から入りたいと思えて、体験に行って2回目くらいの時には入部を確信していました。やはり、その中には前述したようにアーチェリーの楽しさは勿論、先輩方の対応がとても優しく、フレンドリーに話して頂けたことが大きな要因かなとは思っています。
本格的に入部を決めてからは、先輩方からの射型指導だったり、覚えなくてはならない規則や掛け声などがあり、自分が想像していたよりも大変なことが多く、最初のうちは戸惑っていましたが、今では、その行動が自分の中で習慣化されたり、自分で射型を治したりすることが出来るようになりました。これも、先輩方の指導あってのことかと思います。
大学からいきなり、初めての運動部デビューということで周りとの体力差だったり、根性面での不安などがありましたが、何とか筋トレなどを行うことで、かろうじてついていけているような気はしています。これからも皆の足を引っ張らないよう、アーチェリーの楽しさを忘れずに、日々練習していきたいと思っています。


~個人的な目標~
 目標と言ってすぐに思いつくのは、「○○点以上取る」や「射型のこの部分を綺麗にする」といった具体的なものだと思いますが、私が目標としてここで挙げたいのは、
「『楽しい』から『頑張る』、『頑張る』と『楽しく』なる」
という幸福のスパイラルを自分で作り出すということです。
私は昔から、前半は出来ても後半が出来ない人でした。つまり「初めに『頑張る』ことができない人」だったわけです。勉強然り、習い事然り…。頭ではずっとわかっていました。「今頑張ればこの先楽しくなる」、「今やっておけば、後々楽になる」と。でも行動に移せなかった。
そんな自分を変えたいと思いつつ18年間の年月が過ぎてしまいました。大学に入り、ここを出たらもう社会人です。今までは「頑張れませんでした。」で済んでいたことが、これからは、責任という重いモノを背負うことによって済まなくなってしまいます。大学1年の春、その責任の重さの片鱗を味わうことになりました。その経験があったからこそ、今回の目標を建てられたのかなとも思いますが、代償が少し大きすぎましたね…。ですが、これも社会勉強の一環だと思って、ここから立て直していきたいと思います。
そもそも今まで目標をもって生きてこなかったというのもあり、何となく「何とかなるだろう…。」と惰性で生きてきたのですが、これからは目標も立てたことですし、『頑張って』生きて見たいと思います。こんなことを考えるようになったのは、やはり部活の影響が大きいと思います。基本的に自問自答の繰り返しで今まである一定のレベルまで来たと思っているので、それが思考にも影響を及ぼしたのだと思います。
まず『頑張る』ための一歩を踏み出す

これも、目標の中に組み込むこととして、このコーナーを終わりたいと思います。


さて、長文に次ぐ長文で申し訳ない限りですが、ここまでお付き合い頂き有難うございました。
これからもアーチェリーを『楽しむ』ことを念頭に、人としても成長できるよう、日々精進していきたいと思います。
毎日成長!!

ということで、私の記事は終わるわけですが、どうやら私が最後のようなので、これにて今回の洋弓部記事リレーを終了とさせて頂きたいと思います。トリが自分でよかったのだろうか…。
それでは、ここまで読んでくださった皆さん、有難うございました!!
そして、ここまで繋げて下さった先輩方や同期の皆、本当に有難うございました!!
洋弓部に入って良かったです!!
これからも宜しくお願い致します。失礼します。
記事リレーⅡ
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