初めまして、風の会2年の謝冬林(シャトウリン)です。みんなに「りん」と呼ばれています。
名前を見たらわかると思いますが、私は日本人じゃないです!香港生まれ育ちで、2020年11月1日に来日した留学生です。
振り返ってみれば、またいつか会えるのかわからず、泣きながら香港国際空港で家族や親友と別れた情景は、まるで昨日のようでした。あっという間に11ヶ月が経ちました。時の流れが速いですね…
せっかくのチャンスなので、今日は皆さんに私の外国人としての日本への想いや、留学の経緯などを話しながら、初心を振り返って見たいと思います!
よろしくお願いいたします!
1、なぜ日本語を勉強しようと思いましたか?
出た!留学生なら誰でも聞かれたことがある質問!私自身も何十回くらい答えたことがあります笑。
かなり長い話なので、毎回省略して話しましたから、おそらくみんなの聞いた話は若干違います。
以下はフルストーリーです!
↓
日本の流行文化は私の親の子供時代に香港で流行り始めて、私の親もずっと日本が大好きです。それに加えて、母がイギリス留学時代のとても仲が良い友達は日本人で、その子はとても優しくて礼儀正しい子なので、「日本ってなんて素晴らしい国でしょう」と思っていました。その影響か、私は小さい頃から日本のアニメを見て育っていましたから、ずっと日本へ憧れを持っています。
「日本人=礼儀正しい」
「日本の街=綺麗」
「日本製のもの=高品質」
などのイメージを、おそらく香港人全員持っているのではないか?くらい香港人は日本のことが大好きです。
「日本って素晴らしい国だね、住んでみたいな」と、ずっと思っていました。
特に小学校の時は上履きやランドセルに憧れていました。
でも、小さい子の時に、憧れを持っていたまま、何も行動を起こさなかったです。本気で日本語を学ぼうと思ったきっかけは、進撃の巨人です。
2013年進撃の巨人のアニメが公開された時、私は11歳の小学5年生でした。進撃の巨人を通じて香港の現状を見えているような感じがしましたから、私はすぐハマりました。それをきっかけに、私は日本語を勉強しようと思いました。最初は独学でひらがなを覚えましたが、その後私の二人の姉は日本語学校に通いたいと母に言いましたから、私も母に通いたいか聞かれました。こうして、2013年6月、当時11歳の私は日本語学校に通い始め、本格的な日本語教育を受けることになりました。
2、日本語を勉強する経験
私の最初のクラスは、大人向けのコースでした。クラスで私は最年少で、私と姉以外の全員は大学生か社会人か、とにかく大人でした。年齢の差もあって、最初の頃私は勉強するのにとにかく大変でした。クラスでは落ちこぼれで、毎回テストの点数は三姉妹の最下位でした。
「私には才能がないのではないか?どうしてお姉ちゃんと比べてこんなに下手なの?」と自分を疑っていました。(いや冷静に考えれば、当時14歳と16歳のお姉ちゃんたちの方ができるのは当たり前でしょう!)
語学に初心の時が一番大変です。色々暗記するものが多いし、クラス最下位だし、それに加えて中学受験の忙しい時期でしたから、正直何度も何度も諦めようかと思いました。でも負けず嫌いな私はお姉ちゃんに負けたくないから、なんとか耐えられて、姉二人とも途中から日本語学校を通うのを諦めたとしても私は諦めませんでした。こうして私は初心者の時期を乗り越えました。
中級になってからは楽でした。私が通っていた日本語学校では、中級から日本人が先生を担当してくれました。毎週2時間の授業中日本語しか喋らなかったから、実践で学ぶのが効果的です。ある程度日本語ができるので、YouTubeを見ながら勉強したり、本を読みながら単語を覚えたりするので、もう単語を暗記するのをやめました。そして中学生になった私の学習力も高くなったので、いつの間にか私はクラスの最上位になりました。三年間に渡って毎回テストで私に勝てる人は一人もいなかったです。自信を取り戻した自分は、毎週日本語を喋れるたった2時間を楽しみにしていました。
いつの間にか、落ちこぼれの私は、三姉妹の中にも一番上手になりました。
高校三年生になり、大学受験など色々な事情で、2019年11月に、六年間通い続けた日本語学校をやめました。
3、どうして日本へ留学しようと思いましたか?
これは多分、二番目に聞かれた質問ですね笑。
迷わず私の答えは
「日本が好きだから」です。
じゃ、日本の何が好きですか?
今の私の答えは、
「わかりません」です。
確かに日本語を勉強するきっかけはアニメで、個人的にもドラマとか番組が好きです。
ですが今は別にアニメでもドラマでも見てないし、流行文化だからこそ日本が好きだとも言えません。
日本語を勉強するためにYouTubeとかを見ていて、それを通じて日本のことをたくさん知りました。そして知れば知るほどこの国に住みたいと思いました。
「日本」という国が好きです。
自分でもよく説明できない気持ちです。母国を愛していながら、もし日本人として生まれていたらよかったかもしれないね、と思っています。
気持ちが複雑ですが、私は本当に本当に、日本が大好きです。将来は帰化して、ずっと一生日本で暮らしたいです。
まあ、他にも香港の政治状況で逃げたいという理由もありますが、とにかく私が日本に留学しに来た一番の理由は、留学を手段にして将来日本人になりたいからです!
日本で暮らすのが私の幼い頃からの夢です。それは私が早稲田大学に受かったことにより叶えました。これからの私の夢は、日本人になる、なのではないでしょうかね。
4、留学までの経緯
本気で留学を考え始めたのは、中学3年の夏、姉の日本留学が決めてからです。3つ上の姉は私と同じように幼い頃から日本が好きで、日本で暮らしてみたいから、日本の大学を受験しました。そして姉が早稲田大学に受かったのを見て、「自分もできるのではないか」と考えました。
それから私はいろいろ留学の準備をしました。姉と同じく、国際雰囲気濃厚な早稲田大学に通いたくて、高1と高2の2年連続わざわざ海外からオープンキャンパスに参加しました。そしてAO入試のため学内成績や課外活動も重視されるので勉強に頑張りました。
高校三年生になり、真剣に受験と向き合う時期になりました。2019年9月、高3になったばかり(香港は9月入学)、私は書類を揃うためにとにかく大変でした。推薦書、卒業証明書、学内成績表の認証謄本などを学校に用意してもらったり、1100ワードの志望理由を英語で書いていろんな人に見てもらってたり、留学ビザの書類を出したりしました。10月中旬、私は書類を全部揃えて、日本に送りました。
不安と戦った2か月を終え、2019年12月17日、待ちに待った合格発表が来ました。オンライン発表なので、私は時間になったらこっそりスマホで結果を確認しました。自分の受験番号を見た瞬間、私は隣の子の手を掴んで、喜びの涙が出て来ました。その後の休憩時間私はたくさんの先生や友達に報告して、みんなと抱きしめながら涙が止まらなかったことが、まだ記憶に新しいです。
第一志望の学部に受かりましたが、その時実は香港の統一高校卒業試験 HKDSE (日本だとセンター試験みたいな?)がまだです。受かったものの、大好きな先生に恩返しのためでも、自分の実力を証明するためでも、この試験を受けることを決意して、そのために頑張りました。進路はもう決まったので、勉強に専念することができることがありがたいです。2020年4月25日から5月21日、約1か月に渡る受験を終え、私はようやく受験から解放されました。
それからは寮の申請や、入学手続きでした。2020年9月21日、私は正式的に早稲田大学政治経済学部に入学しました。
入学したものの、コロナによりビザの発行は中止になったので、ずっと日本に入国できず、家でオンライン授業を受けていました。10月、やっと入国制限が緩和され、ビザの発行が再開されました。それからは早かったです。ビザが発行された直後、私は1週間後の飛行機のチケットを取りました。急に1週間後に香港を離れることになり、このことを周りの人に報告する時、みんなびっくりしました。この一週間内にたくさんの送別会に参加した後、ついに、2020年11月1日、私は来日しました。
*****************************************
大好きな大好きな日本で暮らせるのは、本当に夢見たいです。ここで、私はとても優しい人たちに出会って、友達の紹介で風の会に入会して、さらに素晴らしい人たちに出会って、とても充実している生活を送っています!
外国人の私を差別することなく受け入れてくれた皆さんとこの社会に、心の底から感謝しています。これからはずっとこの感謝の気持ちを忘れず、周りのみんなを助けてあげて、この社会に貢献しようと思います!
まず、今の目標は、自分から言わなければ日本人じゃないと気づかれないことです!
日本での生活、困難、得たものなど、私の日本留学体験談は、またの機会があれば書きたいと思います!
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました!
名前を見たらわかると思いますが、私は日本人じゃないです!香港生まれ育ちで、2020年11月1日に来日した留学生です。
振り返ってみれば、またいつか会えるのかわからず、泣きながら香港国際空港で家族や親友と別れた情景は、まるで昨日のようでした。あっという間に11ヶ月が経ちました。時の流れが速いですね…
せっかくのチャンスなので、今日は皆さんに私の外国人としての日本への想いや、留学の経緯などを話しながら、初心を振り返って見たいと思います!
よろしくお願いいたします!
1、なぜ日本語を勉強しようと思いましたか?
出た!留学生なら誰でも聞かれたことがある質問!私自身も何十回くらい答えたことがあります笑。
かなり長い話なので、毎回省略して話しましたから、おそらくみんなの聞いた話は若干違います。
以下はフルストーリーです!
↓
日本の流行文化は私の親の子供時代に香港で流行り始めて、私の親もずっと日本が大好きです。それに加えて、母がイギリス留学時代のとても仲が良い友達は日本人で、その子はとても優しくて礼儀正しい子なので、「日本ってなんて素晴らしい国でしょう」と思っていました。その影響か、私は小さい頃から日本のアニメを見て育っていましたから、ずっと日本へ憧れを持っています。
「日本人=礼儀正しい」
「日本の街=綺麗」
「日本製のもの=高品質」
などのイメージを、おそらく香港人全員持っているのではないか?くらい香港人は日本のことが大好きです。
「日本って素晴らしい国だね、住んでみたいな」と、ずっと思っていました。
特に小学校の時は上履きやランドセルに憧れていました。
でも、小さい子の時に、憧れを持っていたまま、何も行動を起こさなかったです。本気で日本語を学ぼうと思ったきっかけは、進撃の巨人です。
2013年進撃の巨人のアニメが公開された時、私は11歳の小学5年生でした。進撃の巨人を通じて香港の現状を見えているような感じがしましたから、私はすぐハマりました。それをきっかけに、私は日本語を勉強しようと思いました。最初は独学でひらがなを覚えましたが、その後私の二人の姉は日本語学校に通いたいと母に言いましたから、私も母に通いたいか聞かれました。こうして、2013年6月、当時11歳の私は日本語学校に通い始め、本格的な日本語教育を受けることになりました。
2、日本語を勉強する経験
私の最初のクラスは、大人向けのコースでした。クラスで私は最年少で、私と姉以外の全員は大学生か社会人か、とにかく大人でした。年齢の差もあって、最初の頃私は勉強するのにとにかく大変でした。クラスでは落ちこぼれで、毎回テストの点数は三姉妹の最下位でした。
「私には才能がないのではないか?どうしてお姉ちゃんと比べてこんなに下手なの?」と自分を疑っていました。(いや冷静に考えれば、当時14歳と16歳のお姉ちゃんたちの方ができるのは当たり前でしょう!)
語学に初心の時が一番大変です。色々暗記するものが多いし、クラス最下位だし、それに加えて中学受験の忙しい時期でしたから、正直何度も何度も諦めようかと思いました。でも負けず嫌いな私はお姉ちゃんに負けたくないから、なんとか耐えられて、姉二人とも途中から日本語学校を通うのを諦めたとしても私は諦めませんでした。こうして私は初心者の時期を乗り越えました。
中級になってからは楽でした。私が通っていた日本語学校では、中級から日本人が先生を担当してくれました。毎週2時間の授業中日本語しか喋らなかったから、実践で学ぶのが効果的です。ある程度日本語ができるので、YouTubeを見ながら勉強したり、本を読みながら単語を覚えたりするので、もう単語を暗記するのをやめました。そして中学生になった私の学習力も高くなったので、いつの間にか私はクラスの最上位になりました。三年間に渡って毎回テストで私に勝てる人は一人もいなかったです。自信を取り戻した自分は、毎週日本語を喋れるたった2時間を楽しみにしていました。
いつの間にか、落ちこぼれの私は、三姉妹の中にも一番上手になりました。
高校三年生になり、大学受験など色々な事情で、2019年11月に、六年間通い続けた日本語学校をやめました。
3、どうして日本へ留学しようと思いましたか?
これは多分、二番目に聞かれた質問ですね笑。
迷わず私の答えは
「日本が好きだから」です。
じゃ、日本の何が好きですか?
今の私の答えは、
「わかりません」です。
確かに日本語を勉強するきっかけはアニメで、個人的にもドラマとか番組が好きです。
ですが今は別にアニメでもドラマでも見てないし、流行文化だからこそ日本が好きだとも言えません。
日本語を勉強するためにYouTubeとかを見ていて、それを通じて日本のことをたくさん知りました。そして知れば知るほどこの国に住みたいと思いました。
「日本」という国が好きです。
自分でもよく説明できない気持ちです。母国を愛していながら、もし日本人として生まれていたらよかったかもしれないね、と思っています。
気持ちが複雑ですが、私は本当に本当に、日本が大好きです。将来は帰化して、ずっと一生日本で暮らしたいです。
まあ、他にも香港の政治状況で逃げたいという理由もありますが、とにかく私が日本に留学しに来た一番の理由は、留学を手段にして将来日本人になりたいからです!
日本で暮らすのが私の幼い頃からの夢です。それは私が早稲田大学に受かったことにより叶えました。これからの私の夢は、日本人になる、なのではないでしょうかね。
4、留学までの経緯
本気で留学を考え始めたのは、中学3年の夏、姉の日本留学が決めてからです。3つ上の姉は私と同じように幼い頃から日本が好きで、日本で暮らしてみたいから、日本の大学を受験しました。そして姉が早稲田大学に受かったのを見て、「自分もできるのではないか」と考えました。
それから私はいろいろ留学の準備をしました。姉と同じく、国際雰囲気濃厚な早稲田大学に通いたくて、高1と高2の2年連続わざわざ海外からオープンキャンパスに参加しました。そしてAO入試のため学内成績や課外活動も重視されるので勉強に頑張りました。
高校三年生になり、真剣に受験と向き合う時期になりました。2019年9月、高3になったばかり(香港は9月入学)、私は書類を揃うためにとにかく大変でした。推薦書、卒業証明書、学内成績表の認証謄本などを学校に用意してもらったり、1100ワードの志望理由を英語で書いていろんな人に見てもらってたり、留学ビザの書類を出したりしました。10月中旬、私は書類を全部揃えて、日本に送りました。
不安と戦った2か月を終え、2019年12月17日、待ちに待った合格発表が来ました。オンライン発表なので、私は時間になったらこっそりスマホで結果を確認しました。自分の受験番号を見た瞬間、私は隣の子の手を掴んで、喜びの涙が出て来ました。その後の休憩時間私はたくさんの先生や友達に報告して、みんなと抱きしめながら涙が止まらなかったことが、まだ記憶に新しいです。
第一志望の学部に受かりましたが、その時実は香港の統一高校卒業試験 HKDSE (日本だとセンター試験みたいな?)がまだです。受かったものの、大好きな先生に恩返しのためでも、自分の実力を証明するためでも、この試験を受けることを決意して、そのために頑張りました。進路はもう決まったので、勉強に専念することができることがありがたいです。2020年4月25日から5月21日、約1か月に渡る受験を終え、私はようやく受験から解放されました。
それからは寮の申請や、入学手続きでした。2020年9月21日、私は正式的に早稲田大学政治経済学部に入学しました。
入学したものの、コロナによりビザの発行は中止になったので、ずっと日本に入国できず、家でオンライン授業を受けていました。10月、やっと入国制限が緩和され、ビザの発行が再開されました。それからは早かったです。ビザが発行された直後、私は1週間後の飛行機のチケットを取りました。急に1週間後に香港を離れることになり、このことを周りの人に報告する時、みんなびっくりしました。この一週間内にたくさんの送別会に参加した後、ついに、2020年11月1日、私は来日しました。
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大好きな大好きな日本で暮らせるのは、本当に夢見たいです。ここで、私はとても優しい人たちに出会って、友達の紹介で風の会に入会して、さらに素晴らしい人たちに出会って、とても充実している生活を送っています!
外国人の私を差別することなく受け入れてくれた皆さんとこの社会に、心の底から感謝しています。これからはずっとこの感謝の気持ちを忘れず、周りのみんなを助けてあげて、この社会に貢献しようと思います!
まず、今の目標は、自分から言わなければ日本人じゃないと気づかれないことです!
日本での生活、困難、得たものなど、私の日本留学体験談は、またの機会があれば書きたいと思います!
ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました!
空港で友達と別れるのめーーーっちゃわかる。
純な感謝の気持ちを感じれていいよね。
この記事、他の団体の人たちも見たいんじゃない?
日本に来てる留学生の体験談に興味がある団体とかありそう。
コメント、ありがとうございます!
そうですね、世界中の国から日本を選んだ理由は人それぞれですから、他の人の話を聞くのが面白いですよ!
もし他の団体の方が私の記事に興味を持っていて読んでいただけると嬉しいです!