10月25日の感想

10月25日の感想
若者ジャック小林りゅうしんさん
滋賀県大津市(しがけんおおつし)
にあります。天台宗のお寺寶生院
(ほうしょういん)から護摩行(ごま
ぎょう)ライブ配信頂きました。
凄い時代になりましたね。
一般公開されて知名度が上がる
ことはいいですがその分礼節
をわきまえていきたいのもだと
感じました。貴重な修行の場を
見せて頂きありがとうござい
ました。

天明先生の詔(みことのり)
野党共闘:共産党200名の候補者
が立憲民主党協力に対して100名
が辞退した。
共産党が仮に政権を握れば
天皇制が女系天皇が進み命掛けで
先代天皇が守って来られた天皇の
血筋が途絶えてしまわないか。
危惧して(不安に思って)いる。
との事でした。

石田学さん(いしだ まなぶ)さん
渋沢栄一(しぶさわ えいいち)
青年期編と題してお話し頂き
ました。

石田さんがこれほど渋沢栄一を
熱く語るのか?山近代表と
出会われ論語と算盤(ろんごと
そろばん)をお知りになり、
渋沢栄一の志しを実際に形に
して社会に貢献したところに
一番の魅力を感じておられます。   

行き過ぎた拝金主義(お金だけを
追い求める考え方)に傾いている
世の中の現状に後の世の為に尽く
す志しと算盤を使える技術の
思いを伝えるべく渋沢栄一
検証会会長として株式会社論語と
算盤設立にむけて明るく楽しく
そして熱く日々を過ごされて
います。

そんな想いこもった話面白くない
はずはないですよね。

渋沢栄一1840年から1871年
渋沢家は埼玉県深谷市血洗島
(さいたまけんふかやしちあらい
じま)で藍染や養蚕(ようさん)
[カイコ蛾のさなぎの繭(まゆ)
から絹糸を作って売る商いの事]
を生業(なりわい)[生計を立てる]
としていた裕福な家庭に育った。
母はハンセン病[世間から誤解
され差別を受けていた病の
ひとつ]の娘さんを家に保護する 
様な母と幼少期から漢詩や四書
五経などの手解きを父から受け
育てられた。
 
 1853年16歳横暴な役人と理不尽
な御用金の金額に封建制度
(社会の仕組み)に怒りを覚えた。

19才尾高惇忠(おだか じゅん
ちゅう)妹千代(ちよ)と結婚。

 剣術修行で江戸に出て千葉道場
や勤皇の志士たちと交流を結び
横浜外国人居留地焼き討ちを
計画するも露見しお尋ね者と
なり以前声をかけられた平岡
円四郎(ひらおか えんしろう)の
伝をたより円四郎と妻の計らいで
円四郎の家来となって京都へ

 一橋慶喜(ひとつばし よしのぶ)
に謁見(えっけん)[目上の人に会う事]
し勘定組頭(かんじょうくみがしら)
[農業と政府の経理を管理する長]に
任ぜられる。

 1866年14代将軍徳川家茂(とく
がわ いえもち)死去。15代将軍
徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)
となる。身分の差から慶喜と
会えない日々が続いた。
1867年1月慶喜の命により慶喜の
名代として弟、昭武(あきたけ)と
共に横浜からパリ万博へ出席。
 民官合体主義、平等の仕組みを
目の当たりにする。

 昭武のフランス留学の予定で
あったが1867年の大政奉還で
江戸幕府が無くなり明治新政府
より1868年に帰国が命じられ
やむなく帰国。

 昭武は水戸の藩主となり、昭武の
手紙を渡す為渋沢栄一は2年ぶりに
慶喜と再会これまでの想いを口に
するも昭武と今後の事を話そうと
諭され多いに反省したとの事。

慶喜は栄一の身を案じて静岡
に残る様勘定組頭にした。
1869年1月フランスで学んだ事を
活かし商法会所を設立。

1869年10月明治新政府から
要請で税正担当の辞令を
受けるも辞退するが
大隈重信(おおくま しげのぶ)
日本再建の為八百万の神
(やおよろず)の神の人柱として
働いて欲しいとの説得に応じて
民部省内の改正係係長となり
200の案件を考え実行。 
1871年民部省が大蔵省に統合
された。

現代よりも自分の考えや意見の
通り難い時代であるにも関わらず
社会を動かしている明治の
人達の熱意と行動力をどれ
だけ自分自身が体得できるの
かがこの講義を活かす鍵に
なる気がしました。
ありがとうございました。

山近代表より
1944年10月25日鹿児島県鹿屋
(かごしまけんかのや)より初め
ての海軍神風特攻隊の関行男
(せき ゆきお)さんが出撃され
た日だと教わりました。

日本道で学んでいると陸軍
神武隊の鹿児島知覧(ちらん)に
重きが置かれ、他に散華(さんげ)
[亡くなった]方の事の印象が
薄くなる流れになってしまう
恐れがあるのでは。
 その事を山近代表は
一番気に掛けておられます。

鹿屋から908名。知覧から1036名。
戦艦大和では3360名。南方戦線 
では150万人以上の尊い命が
家族を想いながら散っています。

アンパマンの作者やなせたかし
さんの弟柳瀬千尋(やなせ ちひろ)
さんも散華されています。

色んな個人の葛藤のある中
後の世が豊かで幸せな国で
あって欲しい!その一心で
戦地に向かわれた事は
事実であると言えると
思います。

四国の愛媛(えひめ)県出身だった
関さんのお墓は四国の倫理法人会
の方が守っておられます。
お疲れ様でございます。

 戦争だけに止まらず、一方的な
情報に流され事実を知ろうとも
せず、時代の流れにおいて崇拝
したり誹謗中傷して当事者の方達
を生きづらくしている私達の
浅はかな思考を反省し、真実を
知り、当事者や当事者のご家族の
想いに寄り添えないまでも
傷つけない。

その事を学ぶことが
大切なんだと感じます。
ありがとうございました。

名言ランナー

家系図でその人の持っている
良さを引き出してより良い
日々をつくる提案をされて
います。

塩崎明子(しおざき あきこ)さん
おすすめの名言は芳村思風
(よしむら しふう)さんの
「生きるとは。」

人間において生きるとはただ単に生き永らえる事ではない。 人間において生きるとは何のためにこの命を使うかこの命をどう生かすかということである。 命を生かすとは何かに命をかけるということである。 だから生きるとは命をかけるということだ。

身の引き締まる名言です

ありがとうございました。