12月15日の感想

 1215日の感想
 1702年12月14日に赤穂浪士
(あこうろうし)[現在の兵庫県赤穂市]
浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)
家臣47名が吉良上野介(きら
こうずけのすけ)の屋敷に押し入り
仇を取った。

 その後、浅野家の菩提寺である
泉岳寺(せんがくじ)にてほぼ全員が
切腹したという事件。

 動機は江戸城にて絶対役を任された浅野内匠頭が教育係の吉良上野介に
馬鹿にされた事に激情し、江戸城内
松の廊下で吉良に切り掛かった。

 それにより浅野内匠頭は切腹。
浅野家はお取潰し。吉良はお咎め
なし[責任は取る必要なし]となった。

 筆頭家老の大石蔵之助(おおいしくらのすけ)は
主君の仇を取るべく
策を練り649日後に吉良上野介宅
に討ち入りを決行した。
​というものです。
 
 主君に尽くす。親に尽くす。
国に尽くす。これが軍国主義や
個性を失わせるという意見で
忠臣蔵を教科書やテレビで
取り上げない。と言うのは
疑問に感じる。

 子供たちが見る戦隊モノは
五人で一人の敵を倒す。これは
良いのに。こちらの方が僕には
悪影響に思えて仕方がない。

 個性というのは元の躾(しつけ)
いわゆる人として規範(きはん)が
出来てから育むものだと思います。

 道にゴミを捨てる。挨拶もしようと
しない人が増えていると言われる
昨今の中での個性は単なるわがまま
でしかない様に思えてならない。

 スポーツもルールがあっての
個性あるから面白いし感動させ
られると思いますし、
武術は卑怯な相手に対しても
礼節を保ち取り押さえる
心構えと技。そして主君。家族の
為に命を使い切るのが目標として
日々の鍛錬、稽古するものだと
思っています。

 上司や国が間違えている事を
はっきり言う事で命をとられたり
左遷させられる事は現代でもある
という事は忠臣蔵は関係ない事の
証拠になると思います。

 面子と嫉妬で大切なものを
見誤らない様に日々心掛けて
行きたいものですね。

ありがとうございました。

 株式会社致出版の花坂雅之
(はなさか まさゆき)さん
にお話し頂きました。

 花坂さんの「人生は言葉通り」
とても納得しながら聴かせて
頂きました。
 
 人生で一番乗ってはいけないもの
は「調子」なのだ!と教えて頂き
ました。
 
 バブルの絶頂と崩壊の時流に
飲まれ破綻から地道に復活されて
来た経験の中にいつも雑誌致知
があった。との事でした。

 致知という言葉は中国の書物
大学の中の「先に生きるのものの
言葉で若人を導く」
 二宮金次郎が薪を背負いながら
読んでいた本の一節で江戸の
藩校や寺子屋では必須の書物
であったと言われていました。

 音読と解釈の繰り返しをする
事で自分の腑に落とし込む。
単純だけど奥が深い学びで
あったと思われます。

 花坂さんが致知を真剣に
読む様になられたのは
社長の講演会での「憤」(ふん)
の言葉の意味を聞かれた時から
でした。
 憤は単なる怒りだけでなく
感激して原動力に変えて一歩を
踏み出す、自分と周りを鼓舞
(こぶ)する意味だと教えて
頂きました。

憤を発して食を忘れ、
楽しみて以て憂いを忘れ、
老の将さに至らんとするを知らず

憤はきっかけとしてたべる事を
忘れ、楽しむ事で不安を忘れて
年を重ねること知らない

この言葉に魂が震えて手紙を
藤尾社長に書き、面会を重ねて
「来るか」とお声が掛かり
二つ返事で入社を決心なされた。

 発憤して体験から知恵を養う
繰り返しにより地道に自分の環境を
創り出すその指針として雑誌致知の 
存在があるとの事でした。

 老若男女を問わず求める人に
多くの希望と憤のきっかけを
与えつづける雑誌致知これから
の飛躍が楽しみですね。

ありがとうございました。

赤嶺剛(あかみね ごう)さん
 生粋の沖縄人(ウチナンチュ)
沖縄で教員をされて
いらっしゃいます。
 
 沖縄のおおらなか人柄と
ぬちぐすい。龍神マブヤー。
命と自然と大切にする風習。
琉球武術。手(ティ)から
始まる空手の歴史。
 僕にとって興味の尽きない沖縄
そんな中で瀬長亀次郎(せなが 
かめじろう)こんな政治家が
おられた事が驚きでした。

 1907年から2001年94年の生涯を
どの様な状況下においても信念と
家族愛。そして不当な扱いに対して 
断固立ち向かった人です

 松原多摩喜(まつばら たまき)
さんの人柄に影響を受けて米国に
対する不当な沖縄の人達の扱い
対して沖縄人民党を作り住民の
安全と権利を訴えた。

 1950年沖縄県知事に出馬するも
対抗馬による妨害よって落選したが1952年の立法議員総選挙で最高
獲得票で当選。
琉球政府創設の宣誓を拒否し
米国に好まざる人物と評判が立つ。

 1954年には沖縄追放の命を
受けた当院を匿ったとして
投獄。刑務所内で暴動になり
そうな暴徒をいさめる。

 1972年に国政初当選。
沖縄本土復帰に尽力した佐藤栄作
(さとうえいさく)
総理に頼まれて
瀬長亀次郎の本を2冊渡した。
お話はとても嬉しい気持ちに
なりました。

 1973年から日本共産党と合流して1986年まで
衆議院議員選挙に
当選し1990年政界を引退する

 2001年9月11日アメリカ同時多発
テロの折に心肺蘇生を受けて
持ち直したお話も事実は小説より
奇なり!ですね。
同年10月5日死去。

瀬長亀次郎の代名詞とされる
「不屈」の言葉は瀬長亀次郎
個人を指すのではなく、米国の
不当な扱いから立ち直って
来た沖縄市民全てに向けられた
ものであると言った瀬長さんの
心意気に世の為人の為の志を
感じました。

多忙な中でも家事の手伝い。
沢山の日記を残されている
瀬長亀次郎さんに命を
使い切る姿を見せて頂きました。
ありがとうございました。

歴史に感動するだけでなく
ここから発憤して行動
して精進したいものです。 

赤穂師範の赤穂浪士討ち入りの
話しに出てきた赤穂浪士も
忘れられ、赤穂を読めない
書けない人が増えている事に
時代の流れとはいえ切なさ
を感じずにはいられません
でした。

ありがとうございました。

児童養護施設のオンラインプロレス
イベント。

 施設での生活の中でなによりも
嬉しいのは遊んでくれるお兄さんや
おねえさんや大人たちが沢山
来てくれる事。

そして触れ合える事なのですが
コロナ禍ではそれも制限しなければ
いけないというなんとももどかしい
状況に胸が締め付けられる想いが
しました。

子供たちに少しでも楽しんでもらおう
とする大人たちの素直な気持ちに
嬉しくなりました。

ありがとうございました。 





 
 

 


 


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