言語化が上手ですねとよく言われるので、言語化が得意という状態を言語化しようという試みである。※言語化=「感覚を理論的に理解し、相手に分かるようにアウトプットすること」(weblio)。また言語化力というのは外に見える形で思考力をアウトプットした表裏一体のものであり、思考力から言語化力というものについて言及したい。
三つ目に弁証法を使うというやり方である。ジンテーゼ(正の命題)にアンチテーゼ(反の命題)をぶつけてジンテーゼ(合の命題)を生み出すというあれである。先ほどの大学生は遊んでおけの例で言えば、ジンテーゼとして「学生のうちに遊んでおくのがいい」のではなく、「めいいっぱい遊べるような友人は大人になっては作りにくい」であったり、「社会に出ると抱えるものが多くなり責任が大きくなる」であったり、「単純に体力がなくなる」というところに行き着く。これは二つ目とかなり近いが、二つ目が可能性の範疇でまた新たな可能性を生みうるのに対し、三つ目は一つの命題としてある程度効力を持つ点で異なると言える。
言語化力と思考力は互いに影響し合うものであって、シナジー効果を生み出し、両輪で我々の知性を磨くものである。反対に言えば落とし穴にはまり、一方が磨かれなければアナジー効果(負の相乗効果)によってなしくずし的に駄目になってしまうものでもある。
言語化を妨げる落とし穴の一つは万能語に頼ることである。例えば、ヤバいという言葉は万能で、すごいとかひどいとか色々な意味を含む。これを日本語の奥ゆかしさというのは詭弁に過ぎず、日常のコミュニケーションにおいて、その場のノリが優先された結果の産物だとしても、言語化力を鍛えるのであれば避けなければならない態度である。言語化をあくなきまで探求するという活動は、それそのまま言葉を大切に丁寧に扱うということであり、うまく言い表せない自分の鍛え方不足で安易な語彙に逃げるというのはそのまま言葉に対する不誠実として揶揄されても仕方がない。だからたとえ拙くても、「すごい」とか「やばい」とは距離を置くことをお勧めする。 小林
- 私の思考力を鍛えたフレームワーク
三つ目に弁証法を使うというやり方である。ジンテーゼ(正の命題)にアンチテーゼ(反の命題)をぶつけてジンテーゼ(合の命題)を生み出すというあれである。先ほどの大学生は遊んでおけの例で言えば、ジンテーゼとして「学生のうちに遊んでおくのがいい」のではなく、「めいいっぱい遊べるような友人は大人になっては作りにくい」であったり、「社会に出ると抱えるものが多くなり責任が大きくなる」であったり、「単純に体力がなくなる」というところに行き着く。これは二つ目とかなり近いが、二つ目が可能性の範疇でまた新たな可能性を生みうるのに対し、三つ目は一つの命題としてある程度効力を持つ点で異なると言える。
- 言語化力を鍛えるマインドセット
- 言語化力と思考力の間の落とし穴
言語化力と思考力は互いに影響し合うものであって、シナジー効果を生み出し、両輪で我々の知性を磨くものである。反対に言えば落とし穴にはまり、一方が磨かれなければアナジー効果(負の相乗効果)によってなしくずし的に駄目になってしまうものでもある。
言語化を妨げる落とし穴の一つは万能語に頼ることである。例えば、ヤバいという言葉は万能で、すごいとかひどいとか色々な意味を含む。これを日本語の奥ゆかしさというのは詭弁に過ぎず、日常のコミュニケーションにおいて、その場のノリが優先された結果の産物だとしても、言語化力を鍛えるのであれば避けなければならない態度である。言語化をあくなきまで探求するという活動は、それそのまま言葉を大切に丁寧に扱うということであり、うまく言い表せない自分の鍛え方不足で安易な語彙に逃げるというのはそのまま言葉に対する不誠実として揶揄されても仕方がない。だからたとえ拙くても、「すごい」とか「やばい」とは距離を置くことをお勧めする。 小林