コ◯ン君は18禁コーナーにいかにして入るのか

力也からバトンを受け取ったYO! Yo! yo…
ラップをせざるを得ない罠を仕掛けた力也には拍手を送るしかないYO!!
韻の踏み方はこれで合ってるのかな。
(ラップ、トラップ、クラップね)
夏合宿までに勉強するね。

さて、申し遅れました。新2年の千田寛登です。


(心が野球に蝕われないために。野球以外のことを)

齢は19。2022年の憲法改正によって成人として扱われる訳ではあるが、その自覚はまるでない。幼い顔が消えていくだけで、心はまだまだ子どものままなのだ。大人になることに抗っているだけなのかもしれない。そして、多くの自治体が成人式の開催を満二十歳の年に合わせているという事実に安堵する。大人になるという罰の執行猶予が与えられているようでただただ安堵する。にもかかわらず、大人であると評されると高揚する。それは実に子ども的だ。

ところで、「あなたは18歳以上ですか」という警告に堂々と「はい」をタップした時、あなたは何を思う。私は、ああ大人になったのだなと思う。それは少し寂しいようでもある。タップ1つで大人になれたあのワクワクはもうないのだから。
それ以上に、ドンキ◯ーテやTSUT◯YAの18禁コーナーに入る時に大人になったと感じるのではないか。その際、「見よ!これが大人だ!」と、胸を張り、肩で風を切って歩かなければならない。時に、歯を磨くように、さも日常かのように、何でもないという澄ました顔で入場しなければならない。それはガキどもに格の違いを誇示するためである。「大人とはこういうものである」という概念を植え付けることは責務であるとさえ思う。それは同時に、ガキのままの自分との決別を図る行為でもあるのだ。そして大人の体で暖簾をくぐれば、子ども心に興奮する。(もろちん、失礼、もちろん、ここでの興奮というのはそういった意味ではなく、お宝を見つけたときのようなソレである。)

今の私は、「見た目は大人(?)、頭脳は子ども」とかいうカスの江戸川コ〇ン君みたいで本当に情けない。本当に悔しい。「犯人はあなただ!」とか言いながら、特に怪しい2人の中間に指を差してそう。本当に嫌だね。ほんとうに。

結局何が言いたいのか。

大人の対となる存在を示すなら「小人」だろ!と。
「子ども達」って「ども」と「達」がなんか重複表現っぽいよね♪

ということである。

大人になるというのは、存外これくらい小さなことなのかもしれない。

   
         🚪<キィーーーバタンッ



次回はついにあの方が登場します。軟式野球部に所属する全ての人を支える超敏腕、最恐のあの人。我が部の裏ボスとの声があったりなかったり?
それではよろしくお願いします!我らがマネ長!五十嵐和夏さんです!

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