栃木青春烈伝!!

​皆さんこんにちは!部内北関東同盟の向尾月乃さんからご紹介頂きました、2年中村旺介です。

​いい意味でちょっと変な人と紹介されましたね。反論したい所ですが正直言い得て妙です。(笑)本当にいい意味なんでしょうか...。かつて血で血を洗う戦いを繰り広げてきたあの北関東から出てきた月乃さんはやはり気が抜けない相手ですね。

さて、月乃さんから"何か栃木トークして!"と言付かっておりますのでここでは私の栃木県で過ごした思い出を語らせて頂こうと思います。私は大学進学を機に埼玉県に引越してくるまでの18年間を栃木県宇都宮市で過ごしてきました。それはそれは多くの思い出が詰まっている栃木県。書ききれない程のお話が御座いますが長くなってしまいますので1つだけ書かせて頂きますね。

【​一の巻】  登校道の好敵手
​中学生活が始まって2度目の桜の季節がやってきた頃の話です。​毎日のように自転車で朝練に向かう私の登校道は大きな環状線の脇道をひたすら真っ直ぐに進む直線のコースで、途中2箇所の信号機しか止まることの無い、単調で面白味のない道でした。しかし、そんなつまらない日常が一転しその日から私は燃え盛る闘志を持って登校に挑むことになります。その日は快晴の小春日和で、沈丁花や桜の香りがほのかに鼻をかすめる早朝のことでした。私がいつも通り登校道に自転車を走らせ朝練に向かっていると後方から"ナニカ"がとんでもない勢いで迫ってくるのを直感で感じ取りました。慌てて左に寄る私を他所に彗星の如き速さで隣を抜いて行ったのは超絶かっこいいロードバイクに跨ったお爺さんでした。その時はただ「速いな」と思っただけで特になにもありませんでした。しかし、お爺さんは毎日同じ時間同じ場所で現れ私を颯爽と抜いていきました。ひと月が過ぎ、田んぼに水が入り吹き抜けてくる風が心地いい5月の頃、私にとって大きな転換期が訪れました。いつも通り私を抜いていくお爺さんが着ていたTシャツの後ろにはこう書かれていました。

"Boys, be ambitious! Like this old man!"
(少年よ、大志を抱け!この老人の如く!)

これはお爺さんから私へのメッセージだと思いました。中学2年生、多感な時期を迎えていた私は耄碌した爺さんに毎日颯爽と追い抜かれていることを心のどこかで気に食わないと思っていたのでしょう。心に大きな炎が灯りました。家に帰るとチェーンに油を差しタイヤに空気を入れ友達に曲げられたハンドルを調整しよく睡眠をとって出陣しました。いつもと同じ時間に、お爺さんが遠くから迫ってくるのが見えました。視認すると同時に全力でペダルを漕ぎだしました。今までに感じたことのない風を顔で受けながら接戦になることを予想していると瞬きをする間にお爺さんは隣まで来て私を見つめていました。お爺さんの余裕のある微笑を見て私はチャリの性能の差をまざまざと感じさせられました。車で言えば、軽トラがフェラーリに勝負を挑んでいるような物なんだと諦観のようなものが頭をよぎりました。しかし、私の心に灯った炎はそんなものでは消えませんでした。お爺さんの微笑を嘲笑と受け取った私は血と汗と涙に塗れた努力計画を敢行し、チャリの性能の差を人間の性能でひっくり返してやろうと毎日躍起になりました。毎日のようにお爺さんに挑んでは惨敗し、そうして月日は巡りました。悩んだ私は時に奇行に走りました。軽量化に軽量化を重ねた結果、
「立ち漕ぎするからサドルいらなくね?」と、サドルとカゴと泥除けを取り外しケツだけ無下限呪術を発動させ五条サドルとして挑んだこともありました。もちろん惨敗しました。生徒指導もされました。こんな日々を続けながらも私が諦めなかったのには訳がありました。いずれ必ず勝てると確信があったのです。チャリに性能の差こそあれど、私にあってお爺さんにはない大きなものがありました。そうです。"若さ"です。齢14の私は溢れんばかりの体力が日に日に増していき、スピード的にも差を縮めていくのに対してお爺さんは着実に弱っていきました。夏が来ればバテて息遣いが荒くなり、冬になれば体が発熱できないためか重装備で自転車に乗っていました。2月が過ぎ、また春が来る頃、お爺さんと戦い始めて1年が経とうとしていました。その日お爺さんに変化がありました。日に日に差を縮める私は勝機を見出していましたが、その日のお爺さんはヘルメットを被っていました。「そんなんで何が変わるんだ、今日でピリオドにしてやる」と、1年間を通して鍛え抜いた脚を使って全力で漕ぎだしました。しかし、お爺さんは私の隣を例の如く颯爽と追い抜いていきました。まるで1年前のあの日のように。変わったところと言えばお爺さんの顔に余裕がなかったことぐらいでしょうか。学校に着く最後の信号の前でお爺さんは停まっていました。
​「たぬきじじいですね。」
「速くなったね。若さというものは怖いな!だが私と会うのは今日で最後だよ。君のおかげで医者に止められたんだ!ハッハッハ!!良い青春だった!またどこかで会おう!」
​初めて交わした会話が最初で最後のものでした。お爺さんは竹を割ったような性格の人で、挨拶を交わすとすぐに自転車を漕ぎだし途端に姿を消しました。まさかの医者に止められるという最後を迎え、その日以降お爺さんに会うことは本当に一切ありませんでした。思い返すとこんなので1年間も過ごしていたのかと思うのと同時に楽しかったなとしみじみ思います。皆さん、クラーク博士が言ったあの名言にはオチがあるのを知っていますか?クラーク博士は帰国後、友人との会社経営に失敗し破産しているそうです。大志を抱きすぎるのも良くないのかも知れませんね。

長くなってしまいましたね。でも本当は話したいことがまだまだあります!!
「白詰草の冠とスパルタお嬢」、「厳しい祖母に渡した彼岸花と愛ある拳」、「祖父の電動チャリで行く花見旅、電源が切れて不動のチャリと化す」などなど、また書く機会があったら是非読んでくださいね!

​次回は頼れるピッチャーの市村大翔君です!彼はよく宇都宮に餃子を食べに来てくれる愛栃家です。乞うご期待!

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