栃木が誇る異端児。タイトルからしてその文才を感じさせた中村君から紹介を受けました、社会学部現代文化学科三年生の刈田夏生です!
本論において、私はある人物のある出来事について、過去の事例をもとに考察していこうと思います。
時は遡ること、七年前。当時中学三年生だった彼は夏の最後の横浜市大会三回戦の日を迎えたのでした。相手は横浜市立原中学校。横浜の中でも随一のバッティングを誇るチームで、その中でも右バッターの引っ張りが多く、サードへの打球が増えることが予想されていました。そこで監督は普段セカンドを守っていた彼の守備を信頼してくだおり、守備を固めるためにも彼をサードで出場させたのでした。試合序盤、チームはいいテンポで守備を進め、東山田中にノーアウト三塁のチャンスが巡ってきました。そこで打席は彼。サインはスクイズ。見事に三球連続で失敗をし、三振。後続も続かず、ノーアウト三塁のチャンスを無得点に終わらせてしまったのであった。監督は、インジゲーターをぶん投げ、メガホンをたたきつけるという信じられないキレ方をしていました。もう完全に自分が戦犯になっているなと気づいた彼は、そこから完全に自分の世界に入り込んでしまいました。サードではどんなゴロが来てもとることができず、完全に彼は守備を固めるどころか、原中の狙いにされてしまうという監督の意図に完全に反することになってしまったのでした。しびれを切らした監督は彼をセカンドに戻し、完全に呆れていました。結果、その後勝ったことは覚えているのですが、その日の試合内容というのはほとんど何も覚えていないとのことでした。
そんな出来事から7年後、高校野球とステップを踏み、彼は舞台を六大学軟式野球リーグに移していたのでした。彼は立教大学の三年生になり、投手を本業としてやっていたものの2025シーズンから野手に挑戦していました。監督から守備の定評はあり、オープナー守備というあまり聞かないポジションでリーグ戦に絡むようになっていました。そこで迎えた立教大学春リーグ三戦目、相手は早稲田大学。立教大学は二年生の主軸たちが投げては打ち、守ってくれたおかげで1点リードすることができていたのでした。リードを守ったまま迎えた8表の守備、彼は守備固めとしてサードで試合に出場していました。そこまで二年生投手二人が完璧に抑え込んでいたものの、フィルダースチョイスなどもあり、立教大学はその日一番のピンチを迎えていたのでした。ノーアウト満塁で迎えるバッターは右。ひっかけてサードゴロが予想されていました。その時彼はふと七年前のあの日の守備がフラッシュバックしたのでした。ですが彼ももう七年前の出来事、そう深くは考えていませんでした。そして追い込んでから迎えた4球目、見事にひっかけ打球はサードへ。彼は、つっこまず引いたところ打球をはじいてしまいアウトを一つもとることができず、同点に追いつかれるというタイムリーエラーをしてしまったのでした。そこから彼はもう完全に自分の世界に入ってしまい、その後の記憶はまた何もないとのことでした。チームとしても、そのサードのエラーから悪い流れが漂ってしまい敗戦を喫してしまったのでした。彼は7年たっても「切り替え」という能力を備えることはできなかったのでした。
このように、彼は過去の失敗を現在に生かすことができていなかったのでした。もっというなれば、彼は七年前のことがフラッシュバックするほど切り替えることができていなかったのでした。そこで私は、七年前のことを切り替えるためには何度でも同じ状況にリベンジすることが必要であると考えました。きっと、七年前やリーグ戦のような緊迫する場面は野球だけでなく、これからの長い人生で絶対にあることだと思います。過去の出来事を引きずってるようでは前に進むことはできません。何度でも同じ状況にリベンジをし、緊迫した場面でも自分の良いイメージができるようにならなくてはならないのです。
つまり、新入生には軟式野球部をそのような場に活用してほしいのです。過去の野球のトラウマは野球でしか消せません。私自身もこのままで終わるつもりはありません。4年間かけて、野球で経験することすべてを自分の人生に生かせるような強みにできるような場になると思います。
つぎは、最近ちょっとずつ自分と話してくれるようになった木下君です。何を考えてるのかわからないときが多い彼は少し三年生のセカンドのCさんと似ている部分をかんじるので、Cさんばりの奇才を発揮してくれるでしょう。乞うご期待!
本論において、私はある人物のある出来事について、過去の事例をもとに考察していこうと思います。
時は遡ること、七年前。当時中学三年生だった彼は夏の最後の横浜市大会三回戦の日を迎えたのでした。相手は横浜市立原中学校。横浜の中でも随一のバッティングを誇るチームで、その中でも右バッターの引っ張りが多く、サードへの打球が増えることが予想されていました。そこで監督は普段セカンドを守っていた彼の守備を信頼してくだおり、守備を固めるためにも彼をサードで出場させたのでした。試合序盤、チームはいいテンポで守備を進め、東山田中にノーアウト三塁のチャンスが巡ってきました。そこで打席は彼。サインはスクイズ。見事に三球連続で失敗をし、三振。後続も続かず、ノーアウト三塁のチャンスを無得点に終わらせてしまったのであった。監督は、インジゲーターをぶん投げ、メガホンをたたきつけるという信じられないキレ方をしていました。もう完全に自分が戦犯になっているなと気づいた彼は、そこから完全に自分の世界に入り込んでしまいました。サードではどんなゴロが来てもとることができず、完全に彼は守備を固めるどころか、原中の狙いにされてしまうという監督の意図に完全に反することになってしまったのでした。しびれを切らした監督は彼をセカンドに戻し、完全に呆れていました。結果、その後勝ったことは覚えているのですが、その日の試合内容というのはほとんど何も覚えていないとのことでした。
そんな出来事から7年後、高校野球とステップを踏み、彼は舞台を六大学軟式野球リーグに移していたのでした。彼は立教大学の三年生になり、投手を本業としてやっていたものの2025シーズンから野手に挑戦していました。監督から守備の定評はあり、オープナー守備というあまり聞かないポジションでリーグ戦に絡むようになっていました。そこで迎えた立教大学春リーグ三戦目、相手は早稲田大学。立教大学は二年生の主軸たちが投げては打ち、守ってくれたおかげで1点リードすることができていたのでした。リードを守ったまま迎えた8表の守備、彼は守備固めとしてサードで試合に出場していました。そこまで二年生投手二人が完璧に抑え込んでいたものの、フィルダースチョイスなどもあり、立教大学はその日一番のピンチを迎えていたのでした。ノーアウト満塁で迎えるバッターは右。ひっかけてサードゴロが予想されていました。その時彼はふと七年前のあの日の守備がフラッシュバックしたのでした。ですが彼ももう七年前の出来事、そう深くは考えていませんでした。そして追い込んでから迎えた4球目、見事にひっかけ打球はサードへ。彼は、つっこまず引いたところ打球をはじいてしまいアウトを一つもとることができず、同点に追いつかれるというタイムリーエラーをしてしまったのでした。そこから彼はもう完全に自分の世界に入ってしまい、その後の記憶はまた何もないとのことでした。チームとしても、そのサードのエラーから悪い流れが漂ってしまい敗戦を喫してしまったのでした。彼は7年たっても「切り替え」という能力を備えることはできなかったのでした。
このように、彼は過去の失敗を現在に生かすことができていなかったのでした。もっというなれば、彼は七年前のことがフラッシュバックするほど切り替えることができていなかったのでした。そこで私は、七年前のことを切り替えるためには何度でも同じ状況にリベンジすることが必要であると考えました。きっと、七年前やリーグ戦のような緊迫する場面は野球だけでなく、これからの長い人生で絶対にあることだと思います。過去の出来事を引きずってるようでは前に進むことはできません。何度でも同じ状況にリベンジをし、緊迫した場面でも自分の良いイメージができるようにならなくてはならないのです。
つまり、新入生には軟式野球部をそのような場に活用してほしいのです。過去の野球のトラウマは野球でしか消せません。私自身もこのままで終わるつもりはありません。4年間かけて、野球で経験することすべてを自分の人生に生かせるような強みにできるような場になると思います。
つぎは、最近ちょっとずつ自分と話してくれるようになった木下君です。何を考えてるのかわからないときが多い彼は少し三年生のセカンドのCさんと似ている部分をかんじるので、Cさんばりの奇才を発揮してくれるでしょう。乞うご期待!