未来志向のロータリークラブへ

私が40歳を前にして、東京西南ロータリークラブに入会し、2年が経ちました。40を過ぎ、人生のちょうど折り返し地点に来て、ようやくにして自分の使命に向けて事業を行い、週末は子供達と遊びながら、私という一人の人間の一生を眺めながら日々を送るようになってきました。

先週の金曜日に福岡の大濠公園にて一番下の娘とデートをしましたが、平日の日中とあって、お年寄りの方が多くいらっしゃいました。少し早いランチを食べている時に、隣にいたおばあちゃん達の会話が耳に入ってきました。

「平和よね~」

秋晴れの空の下、公園の池沿いにあるカフェですので、それは長閑で平和という言葉を象徴するような光景が広がっています。おそらく80代の後半くらいと思われるおばあちゃん達からしみじみと発せられた言葉が自然と耳に入ってきたのです。

他に聞こえた言葉はあまりありませんが、ところどころ聞こえる内容からすると、憲法改正や最近の国際情勢、安倍首相の話しなど、戦争の惨禍を忘れつつある現代を憂うような会話のように聞こえました。

戦後73年、終戦時に生まれた人でさえ73歳。戦争の悲惨な光景を鮮明に記憶している人は80代以上の方々しかいない時代です。あと20年もすれば、戦争を体験し記憶する世代は殆どいなくなってしまうわけです。こうして時とともに、人の生死とともに時代は移り変わっていきます。

私が小学2年生の時の担任の先生は、ちょうどこの年が最後の定年間近の先生でしたが、あの時60前だったとすれば、今まだご健在であったとすれば90歳は過ぎておられると思います。まさに戦争を体験した世代だったわけで、戦争の悲惨さや戦争のない世界の大切さを伝えて下さっていたのをおぼろげな記憶ながらも、その大切なメッセージだけは脳裏に刻み込んで頂けました。

平和ほど尊いものはないという一方では、戦わなければこの平和や豊かな社会も持続できないという状況も生じ得るものです。我々が社会の在りよう、我々一人一人の思想、政治や行政の状況に目を向け、自分さえ良ければいいと願ってしまう心、様々な不正、安全や権利の侵害に対し戦わなければ、我々の将来の世代に良い時代を遺すことは出来ません。この社会を動かす政治的、また経済的権力は、我々の将来に良き力として働かなくなってしまうでしょう。

ロータリークラブは職業奉仕という理念を掲げる親睦団体だと私は思っています。ボランティア、寄付行為を行いますが、核心は事業家が事業を通じて、素晴らしい未来を将来に残していく良心、良識ある社会を持続していく為の交流の場だと思います。そこに世代を超えて多くの事業家が集まり、人類の叡智を世代を超えて繋げていくことが何よりも大切なことだと思います。

物資に溢れかえる豊かな時代、平和に甘え、安全も権利も豊かな暮らしも与えられて当たり前の時代、そして人それぞれが人間とは何か、社会に生きることの状況を正しく見定めるのが難しい時代にあって、ロータリークラブもその存在意義が問われる時代にあると思います。今、この時代の流れの中であるからこそ、ロータリーが後世に豊かな時代を遺していく為に一つの社会的な役割を果たせるように、存在すべき状況があると思っています。

今年、当クラブの高梨会長が、未来志向、ということを打ち出し、当クラブの活動をより充実したものとしていこうとされています。我々が奉仕すべきものは未来にこそあります。今の自分達を満足させることが奉仕ではありませんし、それならばロータリークラブなど存在する意義を持ち得ません。

未来の為に、素晴らしき未来を後世に残すべく、力を合わせていけるのであれば、私もロータリーに存在する意義を見出せるものです。素晴らしき未来を共に望む人々とともにあるロータリークラブであれるように、諸先輩方の体験や叡智を受け継ぎながら、職業奉仕に励んでいきたいと思います。


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