私のやりたいこと

私は将来、コミュニケーション障害を持たれるお子さんとそのご家族に寄り添う言語聴覚士になりたいと思っています。
具体的にお子さんの「コミュニケーション障害」には、発達障害や知的障害、聴覚障害、構音障害、吃音などがあります。(これらが全てではなく、あくまでもいくつかの例です。もっと知りたい!という方がおられましたら、ぜひお話しましょう☺)
これらの障害の中には、一見すると障害の有無や程度が分かりづらいものも多く、
周囲の人に気づかれない、理解してもらえないといった課題があります。
そのような子やご家族に向けて、そしてそのような子の周りにいる人に向けて、
私にできることをしていきたいです。

ではそもそも、なぜ私は障害を持たれるお子さんに意識を向けるようになったのか。
その理由を私の過去の経験から考えてみました。


私が通っていた小学校には特別支援学級がありました。
小学6年間、私の学校生活にはいつも特別支援学級の子がいました。
そんな特別支援学級のみんなとの初めての出会いは、小学1年生の入学式です。
当時6歳の私は、同じクラスの出席番号順でたまたま隣の席だった「まりちゃん」という子と仲良くなりました。
今思えば、まりちゃんの存在が私にとって障害が日常になったきっかけだと思います。

まりちゃんには、言葉を上手く言えなかったり身体が上手く動かせなかったりという障害がありました。
まりちゃんだけでなく、特別支援学級に所属する多くの子は、コミュニケーションをとることさえ難しい子ばかりでした。
まりちゃんが「あぁ、、ぁぁぁぁ。、、、ぁあ!」と言う度に、
私は「まりちゃんは私に何を伝えたいんだろう」と考える。
常にこちらが相手の意図を汲みながらのコミュニケーションです。
最初はあまり良いリアクションではありませんでしたが、
徐々に私の言葉に笑顔で答えてくれることが増えていきました。
私はただそれが嬉しかったという記憶しかありません。
まりちゃんが私に見せてくれていた笑顔はいつも最高でした。

これは後から先生に聞いた話ですが、まりちゃんは人見知りで先生にさえあまり笑いかけてくれなかったそうです。
まりちゃんとはそのあと5年間もずっと友達でした。
まりちゃんを含め、小学校6年間で出会った様々な障害を持つ子たちにいつも仲良くしてもらったことは、私の一生の宝物です。
ステキな思い出をありがとう。


その一方で、ほかの子(普通学級)は特別支援学級の子たちに対して距離がありました。
先生がいくら「一緒にまりちゃんを特別支援教室まで送ってあげよう」と言っても、
自分から「行きたい!」という子はクラスで私1人。
私はそれがずっと不思議でした。


今19歳になった私は、その理由が何となく分かってきました。

「みんなはきっと、どうすればいいかわからなかったんだ。」

だから私は、これからもっと多くの子に伝えたいです。

「わからなくたって大丈夫。私もそうだったから。」


言語聴覚士としての学びを始めてもうすぐ10か月。
知識が少し身についてきたからこそ感じたことは、
特にコミュニケーション障害を持たれる方に対して、
相手を100%理解することはとても難しいということ
そして、言語聴覚士だけでできることはとても少ないかもしれないということです。

冒頭に書いたことと矛盾しているかもれませんが、
“寄り添う”ことは“相手を100%理解すること”ではないと私は思います。

じゃあ、“寄り添う”ってどういうこと?
私はそれをこの大学4年間でしっかり考えます。
もしかしたら、4年間ではその答えが見つからないかもしれないけれど。

これからも私らしく活動していけたらいいなぁと思います☺