自分だけの輝き

 わたしは「自分の憧れた輝きを、素直に追い求められる社会」「自分の心の性に対し、正直になれる社会」を目指しています。 

 皆さんはLGBTQという言葉を聞いたことがあるでしょうか。自分のセクシャリティ、性別の在り方がシスジェンダーの方と異なる人のことを指す言葉です。わたしはそのうちのT、トランスジェンダー(心と体の性が一致していない)というセクシャリティを持っています。 

 ではいつからセクシャリティのことで悩み始めたのか。それはわたしが幼稚園の年長だった頃に遡ります。 

 幼稚園のお遊戯会で、同級生の女の子たちが白いドレスを着て、妖精の劇を披露していました。 

 当時のわたしはそれを観て、言葉にはできない不思議な感情を抱きました。きっとこれが、初めて認識した”自分の性別への違和感”なのでしょう。 

 そこからわたしは「なんで自分は女の子じゃないんだろう?」と思うようになりました。 

 小学4年生のときは、地区会の遠足で行ったお菓子の城に併設されていた結婚式場に飾ってあった淡い緑のウェディングドレスに、今まで感じたことのないようなときめきと憧れを覚えました。 

 ではなぜそんな自分を苦しめてまで、男の子を演じてきたのか。 

 それは周りの目が、特に親の目が怖かったからなのです。 

 わたしは男性的な名前を与えられ、ずっと男の子として、男の子らしく育てられてきました。 

 そのことに違和感こそあれど、さして苦に感じていなかったのも原因かもしれません。 

 セクシャリティに関する知識もなかった為、ただの違和感としてしか捉えられていなかったことも、原因のひとつだと思います。 

 そんな中、「自分は女の子”でありたい”」なんて言ったらどうなったでしょう?親に気持ち悪いと言われ、家を追い出されたかもしれません。 

 わたしは家族の愛を否定したくないがために、高3まで自分を隠していました。 


 大学1年生の6月にLGBTQという概念を知り、衝撃が走りました。 

 人生のほとんどの時間をかけて違和感を持ち、悩み苦しみ続けたものの正体を突き止めるヒントが書かれていたのです。 


 でも本当に悩み始めたのはここからでした。 


 わたしの悩みは、セクシャルマイノリティという概念に当てはめてしまっていいのだろうか?もっともっと悩んでる人を冒涜することにならないだろうか? 

 そんなことを2年ほど考え苦しみましたが、それでも「自分が女の子でありたい」という結論は覆ることはなかった為、わたしはトランスジェンダーなのだと結論付けることができました。 

 そうしたらどうでしょう。今までモヤのかかっていた心が、この上ないほどすっきりしていたのです。 

わたしはもう自分を隠す必要はない、自分のありたい姿を、可愛くなったわたし目指していいと考えるようになり、それと同時に自分が輝いてみえるようになりました。 


 わたしには、わたしの憧れている輝き方がある。 

 それに対し素直に、まっすぐ進んでいくわたしの姿は、きっと誰にも負けない素晴らしさを持っている。 


 それはわたしでなくても、どこの誰であってもそうだと考えます。 

 あなたにはあなたの輝きがある、だから自分の心行くまで追い求めてほしい。 

 それをいろんな人に、ゆっくり伝えていきたいと思っています。