老子 in my head

学を為せば日々に益し、

道を為せば日々に損す。

こうなりたい。

「あなたは絶対解が強いから、これを読みなさい。」と渡された老子に関する本を読むと、さすが中国3000年の歴史と言わざるを得ない。

それは、みづき22年の歴史で培った思想を軽いデコピンで吹っ飛ばすほどの威力で、いつのまにかケータイの待受は老子に変わり、家に老子のフィギュアが届いた。

先生の教えを余すところなく説明できるわけもないが、メインメッセージを簡潔に言えば、

無為自然。あるがままに、ありのままあれ、と。

この一小節を読んで、べき論の皮がべりべり剥がれた。

冒頭の内容もそうで、「学問を修めると知識は増えるが、人の道を修めると知識は失われていく」という意味であるが、要するに、頭が知識でパンパンに詰まっている状態では道を為せる状態ではなく、道を為している状態は頭に何も残っていないということ。あれ、解説になってない気もする。興味ある方は是非読んでほしい。

だからこそ今はたくさん触れたい。たくさん気になる。

老子から派生して孔子が説く「宥座=中庸」、たまたま雑貨屋の一区画で見つけたレオ・レオニフレデリックが伝えるアートの重要性、閏年が4年に1度存在する理由、Netflixのコンテンツにあるスタンダップコメディの面白み、1秒とは、太陽は水素原子核の衝突によって生まれるエネルギーである、大村知事のリコール問題などなどなどなど。

膨大な情報が雪崩のように流れ込み、それを過剰摂取して、血液となってゆく感覚。つい先週の土曜日の話。

もっとね、稲盛和夫の、本田宗一郎の、吉田松陰の、岡本太郎の価値観・哲学に触れてみたい。諸子百家は一通り攫っておきたい。阿刀田高のブラックユーモアを感じたい。

いつかこれら全てを忘れるのだろうか。

神徳 紫
2021.02.28

奥が深いですね…😌

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