「Empathy」から考える世界

「Empathy」を知る

感情移入。人の気持ちを思いやること。

Empathyという言葉に聞き馴染みのない人が多いと思いますが、 Sympathyとは少し違う意味を持つ言葉。わたしがこの言葉を大切にし始めたきっかけは、ある本との出会いにありました。

「ぼくはイエローでホワイトでちょっとブルー」

この本を読んだのは2年前。友人から借りた本の中に、「Empathy」の意味に関する議論がなされていました。この本の作者の息子さんが、「Empathyは、誰かの靴を履いてみること」と話していました。

今までのわたしはただ辞書の通りの言葉を使い、自分の言葉に組み替えることの重要性を自分の外側に置いていました。誰かに上手に説明するため、深く理解してプレゼンをスムーズに行うため。でも言葉はただそこにあるわけではなく、自分の中に取り込んで、自分のために使うものでもある、ということに気づきました。

そしてEmpathyはただの感情移入ではなく、隣にいる人、はたまた世界の誰とでもわかりあうため、そして共生するために必要な考え方だったのです。「誰かの靴を履いてみること」、それは隣にいる大切な人のように人々を大切にし、理解する努力をし、共生することだと今では考えています。

「Empathy」を通して今を考える

わたしが「わたしたち」になること、それが輪を広げ、共生することだと感じています。そしてそのためにはまず“自分”を知ること。自分を知ること、それは物事や考え方の二面性、価値観の捉え方や受け入れ方を知ること。それが結果として人を大切にすることへの近道だと思います。

今や人とどこでも繋がれる社会です。一人ひとりが「Empathy」を自分の言葉で理解できたら世界がどんなに優しくなるか。どんなに差別がなくなるのか。

ちょっと丁寧に生きること。ちょっとの優しさを持つこと。

それが少しずつ、世界を暖めているのかもしれません。

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