他人には言えない悩みが山ほどある。この悩みのせいで何度自分を見失い、苦しみ、自分を嫌いになったかわからないしわかりたくもない。悩みってのはすごく厄介だ。
私は、今まで生きてきて楽しいことや嬉しいことよりもどちらかと言えば苦しい時期、辛い時期の方がはるかに多かった。「他人から自分はこんな風に見られているからこうしないと」「相手はきっとこんな返しを求めているからそうするべきだ」誰かにそうしてと言われたわけでもないのに勝手に他人に関与して、想定外のことをされると傷つく。いざ勇気を出して新しい事や今までしてこなかったことをすると周りは皆、「〇〇らしくないよ」「〇〇にそれは合わない」と口を合わせて言ってくる。
なんで自分の人生なのに相手の評価を気にして他人に決めつけられた価値観で生きていかないといけないの?自分が良かれと思ってやっていることはダメなことなのか?そして、いつまでこのサイクルを続けないといけないんだろう?と考える日々が多くなり、終いには、他人のことだけじゃなく、自分のやりたかった事や夢にさえも希望や興味をなくし何もかもが他人事のようになった。
それがすごくすごく苦しくて、でも誰に弱音を吐けば良いのかもわからない、仮に自分の悩みを打ち明けたところで相手にとっては迷惑になる、嫌われるかもしれないって考えると、ずっと誰にも自分の悩みを打ち明けることができなかった。
他人が目につかないようなことほど目につき、他人が気にしない部分ほど気になって些細な事で傷つく。この面倒臭い性格のせいでいつまでも自分に自信を持てないし、仮に褒められたとしてもそれを素直に受け止められない自分、「なんでそう思うの?」って感じてしまう自分に気づきその度に自分は惨めで情けないと思う。
それでも1人で悩むにはキツすぎて、いつも自分のことを気にかけてくれる人に少しだけ、本当に少しだけど勇気をだして、悩みを打ち明けてみた。最初は悩みを打ち明けることに対してめちゃくちゃ抵抗があったし、いつも通り相手の顔色を伺いながら話を進めてた。けど、その人は私の話に嫌な態度をするどころか関心深く話を聞いてくれ、且つ私の悩みを欠点ではなく魅力だと肯定してくれた。その中でも特に私の中で強く刺さった言葉がある。
「他人と違う自分を嫌いになったり、褒められたことを素直に喜べないのは、相手と自分の中の「当たり前」の基準が違うであって、あなたが自分自身を嫌いになったり、自分を卑下する必要はないんじゃないかな」
そう言ってもらえたことが嬉しくて、その時に初めて人前で苦しかったと、辛かったと弱音を吐いて泣いた。こんな自分勝手な悩みを真剣に聞いてくれる、そして私が前に進めるように手を差し伸べてくれる人がいるんだと思うとすごく心が楽になった。たぶんこんな機会を貰わなかったら一生自分の悩みを人に話せないまま生きていたと思う。本当にこの人には感謝しても仕切れないし、この日の出来事を忘れないように覚えていたいと思った。
私は、これから先も他人の意見に左右されながら生きていくと思う。その度に自信を無くし自分を嫌いになることもきっと多いだろう。でもそんな時こそ、この日貰った言葉を思い出して自分の悩みに向き合っていきたい。この悩みがあったからこそ、この悩みと向き合ったからこそ、自分は成長できたと、自分は変われたんだと、胸を張って言えるように。私が目指す理想の人間になれるように、自分のペースで少しずつ頑張っていきたい。
今回は今まで言えなかったけどずっと言いたかった自分の話。
今までの悩み考えた事が着実に財産になっていると思いますよ。
最後の言葉でめっちゃ伝わった。