「大学で何の勉強してるの?」「なんで大学にいってるの?」
アメリカのサンディエゴに留学していた時に
仲の良かった友達に何気なく聞かれた質問が衝撃的だった。
一年の春、1ヶ月の短期留学に行った。
いわゆる「大学生」に囲まれながらなんとなく過ごしていたら
大学生活なんてすぐに終わっちゃう、
何かしたい、と思って留学することにした。
周りから、「留学?いいなあ、すごいね」と言われるのが嫌だった。
とにかく環境を変えて「意識の高い」人と関わりたかった。
春休みということもあり、日本人がたくさんいることはわかっていた。
だから、あえて日本人のグループには入らず、
ドイツ系の子や南米系の子たちのグループに入れてもらってた。
初日からずっと仲良くしてくれていたドイツ人とスイス人の子たちと話していた時、
「大学でなんの勉強してるの?」
と聞かれた。
法学部で法律の勉強をしていると答えたら、
「すごいね、なんで法律の勉強してるの?将来はなにしたいの?」
と興味を持ってもらえた。
この質問にちゃんと答えられなかった自分が今でも悔しい。
もちろん英語力の問題もあったと思う。
でも、それよりも、「思い」がなかったから、薄っぺらいことしか言えなかったのだろう。
よく考えれば当たり前に答えられるはずの質問に答えられないような自分が
恥ずかしかったし、今までの自分の行動の価値が低いように感じた。
この専攻で勉強しているのは
もともと経営を勉強したかったが、合格できたのがこの学部だけだったから。
日本人だとよくある話だけど、これを海外の人に説明するのは難しかったし、
何より自分自身が明確な意義とか目標なく選んだ道だったから。
ドイツ人の子はその時18歳で、高校卒業してマーケティングの会社で働いていた。
2年間働いた後に大学に行って勉強するのだといっていた。
スイス人の子は、ギャップイヤーの期間中で
半年後に大学に進学し、法律を勉強すると言っていた。
1年間の考えて、弁護士になりたいからその大学に行くことを決めたそうだ。
留学したことは自分の意思だったし、
辛くても英語だけに近い環境を作る努力もしていた。
自分はいろいろ考えてるし、行動できてると思ってた。
でもそれは、それまで自分がいた狭い世界の中での話。
「こうなりたい」
「これをしたい」
だからこの仕事をしている、この勉強をしている、考える期間を作っている
そういう子たちが輝いて見えた
みんながこうしているから、
無理じゃない?って顔をされたから、
一人で努力するのが怖いから、
みんなで頑張ろう、
そんな環境で過ごしてきた私にとって
もっと「自分」らしくいていいよ、といってもらえた気がした。
せっかく自分に興味を持ってもらえたのに
しょうもないことしか言えなかったのはほんっっとうに悔しかったけど、
自分について考えるいい機会を与えてもらえた。
もっと考えなきゃいけない
行動に意味を、責任を持たなきゃいけない
「大学で何の勉強してるの?」「なんで大学にいってるの?」
学生が終わって社会人になったら
「なんでその仕事をしてるの?」「どうしてそれを選んだの?」
こんな質問に変わってくるだろう。
その時に自信を持って答えられるようになっていよう。
今度はドイツ語で。
ずっと探し続けている感じです。