全てを出し切ったら、涙は出なかった。

初note、みんなに読んでもらえたら光栄です。
今まで統括や年上として、みんなの悩みや自己紹介をたくさん見たり聞いたりしていましたが、志村翔としての一昨年の話や自己開示をあまりしてこなかったのでBPF直前だけどやりたいと思います。
一昨年の話とかダラダラ最強に長く書いてるから時間ない人とかは最後だけみてくれればいいよ。

学生スタッフ決意の瞬間の話

18スタッフの最終イベントと言えるBackpackFESTA2018 inバンコクが開催された2018/3/3、俺はたまたまタイのバンコクにいて、たまたまTABIPPO創業メンバーである元社員の翔さんと数人の18スタッフと一緒の席で飲んでた。
そこで聞いたのはもちろん学生スタッフの話、その年のDREAMに出ていたこともあり、学生スタッフの存在は知っていたけれど深く聞くことはなく、ここで初めてスタッフの裏側の話を聞く。
「めちゃくちゃ成長できる!」
「やりがいが半端ない」
「友達クソ増える」
「死ぬほど楽しい」
などなど、、BPFをこないだ終わらせてきたスタッフは目を輝かせながら話してくれた。
そんな中でもやっぱり興味あるのは学生スタッフではなくTABIPPOの社内のこと。
若かりし僕は翔さんに一つの質問をした。

かける
「翔さんは仕事楽しいですか?」
翔さん
「あたりめえだろ!自分の好きな友達と好きな仕事してるんだもん!!今の仕事はめちゃくちゃ楽しいぞ!!!」

この一言に衝撃を受けた。若かりし僕はこんなに輝いている素敵な大人に出会っていなかったので素直に「もっと成長して、こんな大人になりたい」と思ってしまったものだった。
そして「成長」を軸に決めて、秒速でスタッフになる事を決意、僕のTABIPPO生活はあの日の夜のバンコクで始まった。

1年目、TABIPPO2019の話

そんなこんなで3月の中旬に旅から帰ってきた2週間後の説明会に参加。前で話していたのは嵐さん、そのときは2個上くらいだと思ってた。(ほんとは5個上)後日の交流会で初めて代表の文太に会う、お互い敬語で当時のラインとか見るととても気持ち悪くて笑えるww

そして5/20にキックオフ、酒に酔いしみなおさんと肩を組みながら3月9日を歌って怒涛の学生支部がスタート。
水土の週2で青学や立教を借りてやっていたmtgは毎回出席したいからバイトを削り、大学から渋谷までの回数券も買ってた。
6月に初めて文太にワークを任された、人の前で声張って何かを話すなんてことは今まで無かったからクソ緊張したのはいい思い出。
下旬にチームを決め、合宿チームとして第一回東京支部合宿をつくった。
実はこのチーム希望を出した時、同時にリーダーの希望も出していた。せっかくなら成長できると思ったからリーダーになりたく、よく文太や統括の人に自分の思いを伝えていた。
まぁ結果リーダーにはなれなかったけど今思えばメンバーで良かったと思う。
成長するために6月はまずTABIPPOに慣れるのに必死だったなぁ

7月はとにかく遊びまくった!
週3でTABIPPOの人たちと飲み、終電逃して朝になるまで公園で飲みながら自分の夢のこと、TABIPPOでやりたい事、今までの人生の話をよくしてた。
初めて大阪にも行った、ノリで友達と大阪支部mtgにお邪魔したらたまたましみなおさんがいたからmtg終わりにしみなおさんと大阪スタッフと鳥二郎で飲んでた。
そこで聞いたのは大阪支部2年目勢からの去年の話や、株式会社TABIPPOにとっての学生支部はどういう存在なのか。まだ活動始まって2ヶ月の自分には中々深く重い話で、この時の感情を大切にしようと意を決したのも覚えてる。

8月はマジで死ぬかと思った。
学生向けのwebメディアを運営するPERRYチームとクリエイティブの兼任だったんだけど、このとき年度初の記事執筆を2本やりつつ、旅大学のバナーとDREAMのバナー数本とPR動画を同時進行でやっていた。
この時本当に「キャパ」ってのを感じて、脳汁が飛び出す感覚がマジであった(マジ)
さらに追い討ちをかける旅祭集客。僕たちにとって初めての集客は2日間の野外フェスである旅祭だった。
これもまたきつい、初めての集客だったから張り切ってLINEの友達片っ端から声かけたからレスに追われてマジで死ぬかと思った。
ここあたりから段々と「かける怖い」と言われ始めた、直す気もなかったけどなんであんなに尖ってたのか自分でもよく分からない恥ずかしいね。
ここで今は大親友、大阪のよしきが旅祭の手伝いスタッフで東京に前入りしてきた。大阪で一年目なのに広報統括をしているガムシャラなよしきに自分と同じものを感じて直感的に親友になる気がしたのは今でも覚えてる。

そんなこんなでやってきた9/1旅祭当日。
旅祭準備と同時期にDREAMのリリースでで3日間くらい睡眠時間が3時間だったのもあり、当日はかなりキツかったけど全国から300人くらいスタッフが集まって旅祭の運営をしたのはとにかく死ぬほど楽しかった。
そして旅祭の次の日、山梨で行われた第一回全都市合宿。
もはや記憶は全然ない。
飲み会が始まった瞬間記憶を飛ばした。
気付いたら飲み会会場の体育館の入り口で去年の大阪代表の神と一つのゲロダンボールを一緒に抱えながら4時間くらい吐いてた。朝起きた後も吐いてた。
この時から僕はスト缶恐怖症です。

TABIPPO上半期が終わり、ありがたいことに上半期MVPを貰った(正直誰よりも動いたし色んなことやってたし死にそうだったから内心頂いたとは思ってた)
あと一昨年の9月はTABIPPOお休み期間だった、が、年中無休のセルフブラックロボ志村翔にはそんなものは存在しない、DREAMの集客期間&面接期間はすでに始まっていたのである。

ここあたりから毎日のように一緒にいたのが彩乃と健と文太。
彩乃はAブロックのDREAM・WORLD・SHINEの3コンテストを統括するコンテストリーダーで、その副リーダーが健だった。
文太は家が無く、健と彩乃は家が都心からクソ遠いからそれにくっついてよく4人で友達の家に泊まって酒を飲んでは日頃お互いに思ってる事を毎日ぶつけまくって、どう組織がいい方向に向くかを話しまくってた。
こんなことを毎日のようにしてたから10月は金も体力も親の信頼も単位も失いまくった。正直マジで帰りの電車賃も無く栄養失調でぶっ倒れるんじゃないかと思った。
だけどあの4人の空間が良く言う「心理的安全性」の極地だと思う。みんな、思ってることはどんどん仲間にぶつけていこう!

まぁそして話は戻り、DREAMの集客が手強いのは今年に限った事ではなく2年前もそうだった。
伸びない数値、DREAMリーダーのメンブレブチギレ、メンバーの集客モチベを上げる工夫、スクランブル交差点での叫びのリアル集客。
そんな中でもDREAMの面接は毎日続く、僕は誰よりも面接に入った、やることもたんまり持ってた。健と彩乃のサポートもしていたのでコンテストにも関わっていた。
そんな中、数値はなかなか伸びずに訪れたDREAM応募締め切り日の10月24日午後23時59分のスクランブル交差点。
目標だった900には届かず、渋谷のでかいスクリーンで25日を迎えるカウントダウンが終わった時は生きてる心地がしなかった。
文太はどっかに行き(モアイの前で泣いてたらしい)健と彩乃は棒立ち、運営統括と副副代表はやるせない顔をしながらみんな終電もないので道玄坂の一軒目酒場で朝まで泣きながら飲んでたなぁ、その後オフィスで朝からBPFの集客戦略を考えていたが俺は寝てたらハブられた。
昔っから文太はよく俺のことをハブくからマジでムカつく。
ちなみに同時刻、大阪支部はDREAMを達成して鴨川で伝説飲みをしていた。

11月はDREAM参加者全員分の面接が終わり、二次審査に進む20人も決まり、ササっとセミファイナリストも決まってDREAMはひと段落したがWORLDのリリースとBackpackFESTA2019のリリースが迫っていた。
BPFサイトの記事執筆とクリエイティブのやる事は死ぬほど降りかかってきて11月も例外なくやばかったが、さすがに休暇が欲しくて5日前にハワイの航空券を取り10人くらいでハワイに行ったのもまた良い思い出。クソ楽しかった。
(この時文太がハワイで合宿したい!とか言い出して実現したのが去年のハワイ合宿)
そっからBPFに向けて本格活動開始。だがやる事超山積み×ロイさんの鬼FBでこの時期マジでメンタルやられそうになった、てかやられてたがやっぱりここで頑張れたのは全都市のクリエイティブの戦友たちがいたからだ、彼らは今もズッ友だお。

そして12月、活動もそろそろ終盤に。
この時初めてBackpackFESTA東京の会場である神奈川県民ホールに下見に行った。
ここで初めて2400席をこの目で見て正直震えた。
「ここ全部埋めるイベント作ってんのか…」
と思うとワクワクが止まらないよね!って感じで、この時の高揚はやばかったのと同時に文太や健、彩乃、2年目スタッフや頑張ってるみんなに満席を見せたいと心から思った。

そして忘れもしない12月15日に全都市の最初のBPF、BackpackFESTA札幌2019が始まろうとしていた。
最初のBPFでお世話になったロイさんの集大成、しかもこの札幌BPFは開催2週間前に満席になったのだ。
札幌は雪が降っていてマジクソに寒かったが全国からきたスタッフ達は装飾や舞台の詰めなどでみんな超真剣モード、俺もDREAMのメンター的なのをしていたので朝までそいつのプレゼンをブラッシュアップしてた。
そして迎えた当日、DREAMの準決勝で泣き、ゲストのモン吉が『告白』を歌い会場が一体になりロイさんが泣いている姿を見て僕も死ぬほど泣いた、人生で一番感動して泣いた。てかスタッフもれなく全員泣いてた。
唯一心残りなのはロイさんの代表挨拶を交流会担当で見れなかった事、これだけはマジで一生許さないぞ
そう言ってると次の週は仙台BPF。
仙台は札幌とは違い、前日まで集客目標の半分くらいだった。直前まで集客をしていて、寝ずに集客と装飾と運営をやっていたが結果は届かず。
直前まで集客していたからロビーもガタガタで二階席はひと席も埋まらなかった。
スタッフ達のモチベも全然札幌とは大違い。
満席とそうじゃないのでは天と地の差があるってのをここで初めて痛感した。

そんな2つBPFを見てさらに満席への熱が上がったところで1月に導入されたのがお馴染みの3都市集客ダービーである。
東京vs大阪vs福岡というこの構造は福岡のザコさからして実質東京vs大阪だった。
今年はあまりないが、例年大阪と東京はライバル意識が死ぬほど強く、どちらも集客で負けたくないという謎の因縁があった。
2年前もそれはもちろんあり、東京は何としてでも大阪に勝ちにいった、中でも俺は大阪に友達も多いから更に燃えた。死ぬほど燃えた。
絶対に勝つために東京スタッフ全員分の過去の旅祭と3コンテストの個人集客数値を分析して各個人の期待値を洗い出しその中でも更に大阪に勝てるような施策をボコボコ考えた。
そしてダービーが終わって結果は東京が勝った。勝ったのだがこの時からなんか自分の中で熱がだんだん下がって、1月の最後の全都市合宿が終わった時に自分の中でプツンと何がが切れた音がした。

そっからと言うもの、文太も何か察したのか俺と話す事も減り、淡々とタスクをこなし、mtgをし、舞台チームだったから舞台の事を詰める。
明らかに周りとの温度差を感じた。みんなは直前だからかどんどん熱が上がってるのに対してどんどん冷めていく感覚があり正直自分でもよくわかんなかった。
そして俺の「集客」についての意識が変わる2/15がやってきた、BackpackFESTA大阪2019だ。
BPFのやる事は大きく分けて運営、装飾、集客の3つに分けられる。
そんな中、大阪はなんとしてでも2800席のグランキューブを満席にする思いで運営と装飾をほぼ0にして集客に全振りした結果前日にチケットが目標の95%に到達、正直大阪の追い上げはものすごかったし、スタッフの熱狂具合も凄かった。
6都市とは規模が違うものすごいBPFが見れるんだろうなと期待し行った大阪BPF、目にしたのは残酷な現実だった。
疲れ切って目が死んでるスタッフ、装飾がない寂しいロビー、ボロボロの舞台運営、そしてなにより当日キャンセルの数。
95%埋まるはずのグランキューブは当日半分くらいしか埋まらなかった。
舞台が開演する前や途中で帰るお客さんもチラホラいた。
そんな中終わったBackpackFESTA大阪。
冷静に考えて集客ばっかしてたらこうなるよねって結果だった
大阪スタッフの顔はみんな死んでた。よしきもずっと泣いてた。
TABIPPO2019大阪支部はこのような形で一年間の活動に終止符を打った。

もちろん数字を追うのは大切だし、集客目標の達成がお客さんの満足度を上げるのも間違いない。
だけど自分を見失い数字を追い求めすぎると、自らの身を滅ぼし、結果的に残るのは虚無感だった。

大阪BPFが終わり東京に帰る、東京BPFまではあと4日。大阪に手伝いに行った東京スタッフ全員が思ったのは「運営に力を注ぐべき」ということだった。
だけどやっぱり石川文太、ずっと満席を追い求める姿勢はやめなかった、1日のスケジュールを組んでも8割が集客タイム。
東京BPFまで後3日、ここで文太と初めて本気の対立した。

「今は集客じゃなくてもう運営を詰めるべきなんじゃないのか。大阪の二の舞は絶対に嫌だ。」

と思っていた事を全部言った。
今現在頑張っているスタッフがこれを見ても、なんやねんコイツとしか思えないと思うけどそれだけ俺にとって大阪BPFはトラウマだった。
文太は集客、僕は運営。
時間のない当時は絶対に相容れない二極化だった。
全都市から手伝いに来てくれてるスタッフ達の前で文太に猛反発した結果、社員の浦さんにブチギレられ一蹴。
だけどこの時に1人のスタッフが言った言葉がいまも忘れられない

「俺は大阪に行ってないからどんなのかわからないけど、翔は運営、文太は集客。今は時間がない状況で視野が狭くなってるかと思うけど、運営も集客もどっちもやろう。どっちかひとつじゃなくてどっちも達成しよう」

これがおそらく正解なんだと思う。
人間、時間がないと物事を天秤に掛けがちだが、AかBかって選択肢だけじゃなくて時間を言い訳にせず新しいCという選択肢を作り出す。
これは今、自分の人生にとってすごい大事にしてる考えになっている。

そして運営集客装飾すべて追い求めた2/20BackpackFESTA東京2019当日。
正直当日は運営でいっぱいいっぱいだったからあんまり記憶がないが、ロビーに溢れかえるお客さん、楽しんでいるスタッフの顔、文太の代表挨拶は覚えてる。
誘った友達が「楽しかった」と言ってくれて最高に嬉しかった。
お客さんが笑顔で帰ってるのを見て胸が熱くなった。

一年間の集大成であったBackpackFESTAが終わって、自分の中の達成感はとてつもなかった。
完全主観だけど舞台は最高だったし、お客さんの盛り上がりもすごかった。
あの一年はマジでいろんな事をした、mtgの作り方、webマーケ、イベント運営、クリエイティブ、記事執筆、組織運営、人との接し方などなど、
あげたらキリはない、色々失った物は多かったが最強に成長した。全く後悔はしていない。
BPFが終わったら泣くと思ってたけど泣かなかった。
やりたい事をやり切って
自分の全てを出し切ったら涙は出ないようだ。
人生最高に清々しい気持ちだった。
打ち上げで全員に「ありがとう」を言い合いながらハグをした。あの打ち上げは今後一生忘れない。最後の帰路はいつも通り彩乃と健との3人。
5/20から始まったみんなと駆け抜けた315日
本当に本当に最高の一年間だった。

TABIPPO 2019が終わった後の話

TABIPPOが終わり、一年間ゆっくりリゾバ生活をしていてゆっくり過ごすのも悪く無いと思い始めてた頃も、もちろんスタッフ達と繋がっていて去年の話を昔話のようにしていた。
これはまだ現スタッフのみんなにはわからないだろうけど、TABIPPOが終わってしばらくすると自分の一年間を超客観的に見ることができるんだよね。
僕は2年経った今でも1年目の活動には後悔ないと言えるけど、唯一心に残るのは活動が終わった後みんなが口を揃えて言う「集客マジで嫌だったもう一生したくないwww」という言葉。
もちろん俺だって集客は大嫌いだったさぁ、でも終わった後は辛い思い出じゃなくて楽しかった思い出で盛り上がりたかったなぁ。

2年目、TABIPPO2021の話

たまに「なんでかけるは2年目やってるの?」と聞かれるけど、一年間準備してきた世界一周もいけなくなって暇だったから「なんか楽しいことしたいなあ〜」と思って、代表が初めましてのイワツーンだったから入った、マジでこんだけの理由。
でもまぁ入ったからには一年目の「成長」みたいに何かを軸を決めようと思って決めたのが「誰よりも楽しみ、メンバーを楽しませる」だった。
「楽しむ」って人それぞれだと思う、めっちゃ追い込まれるのが楽しい人もいれば、遊ぶのが楽しい人もいる。だからそれぞれの思う楽しいことをしてくれるのが本望だったし、なにより活動が終わったあと「楽しかった!」とみんなが楽しい思い出話をして欲しいなぁ。
それを1番叶えやすく、みんなの「楽しい」をサポートできるポジションが統括だと思ったから統括もやってます。
いつでもおちゃらけてる訳じゃなくて、その子にとっての楽しいに繋がるなら、本気の相談には本気で答えるよ!

みんなに伝えたい事

ここまで読んでくれてありがとう!!!
まぁ俺が伝えたいことはひとつで「自分にとって後悔しないように」ってだけ。
最近集客も追い込まれてて、いろんな人が日報で「ここで頑張らないと後悔する!」とか言ってるけど俺はそんな決めつけしたくなくて、自分にとっての集客の捉え方をみんなに考えて欲しいのね。
集客したくて、数字にシビアになりたくてTABIPPO入った人はもちろん達成しないと心残りはあるだろうけど、そんな人は中々いないと思う。でもスタッフやってる以上やっぱり集客とは向き合わなくちゃいけないからこそ、今一度自分のやりたい事、TABIPPOに入った理由を思い出して、その上で集客をどう捉えるかを考えてみたらいいんじゃないかなぁ。
絶対ダメなのは思考停止になって数字を追い求める集客マシーンと化すこと、これやった瞬間に俺がキレます。
俺の立場からして、集客しなくていいなんて普段は言えないけど、実は集客なんてやりたい奴がやればいいとさえ思ってる。
今集客すべきか、しなかったらどうなるかなんて組織としてじゃなく、個人単位で考えたって結果は誰にもわからない。
達成したってしなくなってそれが正解か不正解なんて誰にもわからない。
そんな中でも頑張ってる人はいるって事は忘れずに、自分がどうなりたいか、今後の人生でこのTABIPPOの活動をどう思い出に残していきたいかで、後悔しない方を自分の選択に責任を持って自分で選べばいいと思ってます。

さぁTABIPPO終わったあと来年度はみんなどんなことをしているんだろうね、今から考えるだけでも楽しくなってくるね。
BackpackFESTAが終わった瞬間も、終わった後も、みんなが楽しかったと言えますように、おれは心から願っております。

TABIPPO東京支部 統括 志村翔

野邊 秀紀
2021.02.23

きっと、これでも書き切れないほどの思いがあるんだろうな。

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