素朴実在論と人間の矛盾

私は様々な本を読む。種類は問わないが、仮にも小説学科の人間なので、小説を多く読むように意識している。つい昨日読んだ小説は、素朴実在論をテーマにした作品だった。もちろん作品自体も素晴らしかったが、哲学的な話が好きな私は、この素朴実在論にとても興味をそそられた。

素朴実在論とは、簡単に言ってしまえば自分が見えているものが全てだという考え方だ。だがこれは哲学的に間違っているといわれており、正しいとされる別の実在論があるらしい。
哲学の世界なのでこういった理論に丸や罰をつけられるものだと理解できるが、私はこの素朴実在論が決して間違ったものではないと思う

実際に、人間の幼少期の思想は素朴実在論に則ったものらしい。まだ視野が狭く、物事への考えが浅いことが原因だ。それが成長するにつれて様々なものが見えるようになり、仮設的実在論となる。仮説的実在論とは、先ほど出した現代の哲学で正しいとされている実在論だ。
昨日読んだ小説の言葉を借りれば、「観測しない限り、今この世界にいる保証なんてどこにない」。そう、自分が見てない限り、それが実際にあるという保証なんてないのだ。
もし仮に実在したとしても、少なからず自分は見ていないため、簡単には信じることができない。UMAだの地球外生命体だの言われるものを全人類が信じていないのもそうではないだろうか。情報はあっても見たことのない人間が多数いるから信じていないのだ。「はいそうですか」と素直に信じられるのは、よっぽど純粋な人間だけだろう。うらやましい限りだ。

目に見えるものが全てとは限らないが、結局目に見えるものが全てだと考えてしまう。人間はこれだけ大きな矛盾を抱えている。人間の私が言うのも変だろうが、これだから人間は面白いと思う。


22070003 ノベル&シナリオ専攻 一年 熊谷夢奈
2022年5月26日に、ワードプレスを使った授業で書いたものです。

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