恋情で好きとは

好きという感情にも種類があると思う。友情から恋情と呼ばれるものまで幅は広い。
ではどうして好きという感情に種類があるのか。それは無意識に線引きをしているからだと思う。
私は、恋情で好きになってしまえば性別は問わない人間だ。つまりこの線引きを失くしたら、今は友情としての好きでも数か月後にはどうなっているかわからないということになる。つまり、誰がどの種類の好きでも当てはまることになってしまうのだ。
もちろんそういった考えが悪いとは思わない。
ただ、私は疑問を抱いてしまった。
自分の中で、本当の意味での恋情で好きとは何か、と。
 
下世話な話になってしまうが、世間一般で判断基準にされているのは『一線を越えられるか』だ。
私はこの質問にはっきりと答えることはできない。
なぜなら、一線を越えるということ自体が難しいからだ。
もし、どうしても考えろと言われたなら、「同性となら越えられるかもしれない」というところで線を引くだろう。だが、それは可能性に過ぎない。この線はいわば煙のようなもので、本来は線の意味を成していない。
つまり『一線を越えられることが本当の好き』という判断は私には適用されない。
 
近頃の若い人は肉体的な好きを伴わない傾向にあるという。
生物としては絶望的なのではないかと思っていたのだが、ある人に「それはある意味人間らしいのではないか」と言われた。
本能ではなく、人間独自に備わっている感情や思考で恋愛ができている。そう考えると、悪いものではないのかと思った。
 
本当の意味での恋情で好きとは、気持ちで好きなのではないのか。
そこに生物としての意味がなくても、人間としての意味があればいいと思う。

22070003 ノベル&シナリオ専攻 一年 熊谷夢奈
2022年10月13日に、ワードプレスを使った授業で書いたものです。

学生へのメッセージ、スカウトなどは「お問い合わせ」からご連絡ください。


学生ポートフォリオ
879件