第一章『我々は皆、地獄の住人也』

第一章『我々は皆、地獄の住人也』
~あなたの胃に穴を空ける現世(モノ)とは?~
 
皆さん、苦しんでますか?
本著を手に取って読んでいるぐらいですから、おそらく苦しんでいるのでしょう。
人生とは苦しみの連続です。
かの仏教の開祖として有名なお釈迦様が悟った末に辿り着いたのは――
『この世は地獄だし、無を追求するべきだわ』
と、平たく言えばこんな感じの思想でした。
 
仏様ですら『現世』を見限っておられるのですから、我々のような只人にとってはより苦痛でしかない代物と言っても過言ではないでしょう。
思うに我々はきっと、地獄の住人なのです。
卑しく、矮小な魂を現世という地獄に放り込まれた咎人。
それがきっと、我々〝人間〟の正体なのです。
では人間はひたすら苦しみの連続である人生を苦しみに喘ぎながら生きるしかないのでしょうか?
(あとひとこと、これから何ついて書いていくのかなんとなく示す)
そういうわけではありません。何故なら人は〝正当化〟することに関してはピカイチだからです。
とりあえず、そういったことについて触れていきたいと思います。
 
 
~Q.この世を極楽だと思ってる人間とかいるの?~
 
はい、います。
散々人生は地獄、苦しいものだと唾棄しましたが、実のところそんなに人生を苦だと思っていない人もいます。
何なら人生楽しい~↑とか思いながら生きている人間もいるでしょう。
 
ですが一方で、人生を『苦』でしかないものだと断じている人間もいるということです。
では、何故人によって人生の価値が変わるのか。
それは――
 
~人生における幸福(げんそう)代表例『結婚』~
幸福が人生の価値を決定づけます。
しかしながら、『幸福』とは、大概が虚構にすぎないのです。
例えば、結婚。
これは人生における幸福の中でも最たるものなのでしょう。
愛し合う者同士が結ばれ、一生を共にする……素敵ですね。
ですが、『結婚は人生の墓場』という言葉はよく聞きますよね。
幸せ満杯だった結婚生活は続けば続くほどに愛情が枯れていき、夫婦関係は冷めていく。
夫は妻子を養う為に働きづめにならなければならないし、妻は家事に追われ、自由な時間など微々たるものしか残らない。
これが本当に〝幸せ〟と呼べるのでしょうか。
勿論、共働きの夫婦もいますし、十分幸せに満ち足りた生活を送っている夫婦もいるのでしょう。
(離婚率などに関する有力な資料・情報が見つからなかった為、この部分は省かせていただく)
 
しかし。
互いに様々な制約に縛られ、自由な時間を尽く削られる。ここだけを取ると、どうにも幸福なことには思えませんよね。
では何故、結婚が幸せの象徴の如く語られているのか。
それは、人の〝心〟による思い込みです。
人間は幸福を求めて生きているといっても過言ではないでしょう。
ですが、幸福などという概念は酷く曖昧で、不確かで、不完全なものです。
そんな代物を追い求めてやまない奇妙な生物。それが我々人間なのです。
しかも、その幸福は人によって捉え方が違うのですから、つくづく解せない。
そして、そんな幸福を掴めなかった、もしくは――目の前に現れてさえくれなかった。
そんな人間にとっては、正しく『苦』でしかないのです。
ですが、こういうことを言うと必ずこんなことを宣う人が現れるのです。
 
『いやいや、あなたが自分から動かなかっただけだろ』
 
と。
そんな人に出くわしてしまった際には、こう言う勇気を持ちましょう。
 
『あなたが恵まれてるだけなんだぜ』
 
と。
 
というわけで結論を述べますと、『苦』の人生も、『楽』の人生も、いずれも虚構の上に成り立っているものに
すぎない、というわけです。