小説 『言わないだけで抱えているもの』

これは『太陽3人組の短編集』という、同じ登場人物の短編をまとめた話の1つになります。その中でも『セーブザキャットを元にして書いてみよう』という課題の元執筆しました。
※事故の描写がありますので、お気を付けください。

【登場人物】
朝陽(あさひ):双子の姉、芸術家タイプ。
夕陽(ゆうひ):双子の弟、頭脳明晰。
真昼(まひる):友人の男の子、器用貧乏。



「事故、か」
 夕飯の買い出しの帰り、歩道もないような狭い道を歩いていた時のことだった。
 足を止め、沈んだ声で言ったのは友達の真昼。今まで楽しそうに私の話を聞いてくれていたため、その突然の変化に引っ掛かりを覚えた。
 暗い表情、伏せられた目の先にあったのは、道路の片隅に重ねられたいくつもの献花。それは彼の言葉通り、この場所で事故があったのだという事実を物語っていた。
 それでふと思い出す。先週あたりだっただろうか、近辺で事故があったこと、そしてその被害者が幼い子供だったこと。
 真昼がその内容を知っているかは分からない。でもどちらにせよ、言うつもりはなかった。数年付き合ってきて思ったのだけれど、彼は死というものについてひと際敏感なようだから。
 理由を聞いたことはない。死について深く考え、重く受け止める人がいることは知っているため、単に彼もそうなのだろうと思っている。故にお節介かもしれないけれど、普段彼といる間は誰かが亡くなったという話題を出さないようにしている程度。
 とはいえこの世の中、死と全く関わらないことなどできない。自殺、他殺、そして事故。その情報は、嫌でも耳に入ってくる。故に真昼も極力入り込まず流しているようだった。
 けれど、今の彼はなんだか様子が違う。置かれた献花を、食い入るように見つめている。
「真昼?」
 その様子が何故か、妙に不安を掻き立てられて。名前を呼ぶも、彼は目を逸らさぬまま。
「ここだったのだな」
 その一言で、内容を知っていたのだと察する。
 彼は淡々と言葉を続ける。
「被害者は五歳程度の女の子、飛び出したことによる車との接触事故だったらしい。即死だったと何かで聞いた。当たり前だな、小さく軽い子供が鉄の塊とぶつかって、平気でいられるはずがない」
 様子がおかしいと思った。思ったはずだった。けれどすらすらと話す彼を見ていると、なんだかいつも通りのような気もしてきて分からなくなる。
「誰のせいなのだろうな。飛び出した本人のせい? 確認をしなかった運転手のせい? それとも、その子をよく見ていなかった監督責任者のせい?」
 質問だったものの、私に向けられてはいなかった。言うなれば、何度も繰り返す意味のない自問自答のそれ。
 彼の言いたいことが想像できない。何を思っているか見当もつかない。
 私は今、どうすればいいのかが分からない。
「あー!」
 その時だった。聞こえてきたのは、元気で無邪気な幼い声。向けば目に入ったのは、転がるボールを走って追いかける少女だった。
「ねぇ待って待ってー!」
 ボールが道路に出る。少女は周りを見ていない。ボールをただ必死に追いかけている。
頭がそんな事実だけを認識して、気付いた時には止まりきれない車が少女に迫っていた。
「だ……」
 駄目だ。そう叫ぼうと思っても大きな声が出なくて。体も動かず、固まっていると……動いたのは真昼だった。
 持っていたバッグを投げ捨て、躊躇なく走り込む。そして少女を抱きかかえたところまでは見えた。
 ブレーキの音が響き渡る。
 全てのことが起きてしまった後に、はっと我に返る。
「真昼っ!」
 駆け寄ると、真昼が下敷きになるように二人は道路の反対側に倒れていて。幸いなことに、どこにも怪我はなく無傷だった。
 心底安堵する。良かった、無事だった。少女も真昼もちゃんと生きている。少女が泣き出すのにつられ、私も泣いてしまいそうになる。
 それと同時に襲ってくる底のない罪悪感。私は何もできなかった、ただ見ていることしか。もし間に合わなかったら、見殺しにしたも同然だったと言える。
「大丈夫か?」
 真昼が起き上がり、柔らかい表情で少女に問いかけると、その子はぼろぼろと涙を溢しながら彼に抱き着く。そこに少女の母親が走ってきて、同時に運転手も車から出てくる。
 「大丈夫ですか⁉」「美咲(みさき)⁉」と声が飛び交う。少女が母親のもとに走っていくと、真昼も立ち上がり服を払った。
「怪我はない……?」
 そう尋ねれば、彼は無理矢理作ったぎこちない笑顔を見せた。
「問題ない。あの子が無事で良かった」
 話が進んでいる間、私達は二人でぽつりぽつりと会話をする。
「生きていて本当に良かった」
「そうだな、自分でもそう思う」
 少女の泣き顔を見ながら、つい心情を吐露する。
「私、何もできなかった」
 間一髪だった。もし真昼が飛び込まなければ、少女は間違いなく……。
 すると真昼にそっと手を取られて。彼の手も、驚くほどに冷え切っていた。
「俺もそうだ、何もできなかった」
「えっ、真昼は今まさに助けたでしょう?」
「俺は、妹を見殺しにしたんだ」
 妹。その言葉が頭に響く。だって、私は彼に妹がいたってことすら知らない。
「家からほど近い公園で、親に飲み物を買ってくるから妹を見ていてと言われている時だった。ふと目を離した隙に妹は逃げた猫を追いかけ、公園から道路に飛び出したんだ。駄目だと注意することも、助けることもできず、目の前で……轢かれる瞬間を見た。未だ、鮮明に憶えている」
 その言葉は、まさに先ほどの私だった。声も出ない、咄嗟のことで動けもしない。
「俺のせいで、妹が死ぬことになってしまった。俺が妹を殺した」
 さっきの質問を思い出した。悪いのは誰か。そんな問い、答えなど彼の中ではとっくに出ていたのだ。悪いのは、自分。
 同時に、何故彼が事故や献花に反応したのか合点がいった。それはきっと歳も場所も状況も、妹さんの事故と似ていたから。
 するとその時、少女の母親がこちらへ来て深く深く頭を下げた。今にも泣きそうなお礼の言葉を真昼は会釈一つで対応し、シャットアウトするように目を背ける。けれど少女に服を掴まれたことでそうもいかなくなり、観念したように「どうした?」と優しい声で尋ねた。
「助けてくれて……ありがとう、お兄ちゃん」
 真昼の動きが止まり、繋いだ手に力が入った。
 状況があまりに酷似していると、想像するのは簡単で。どう考えてもこれは、彼が昔望んだ光景であるはずだから。
 彼は膝を折り、そっと少女の頭を撫でる。
「どう致しまして」
 向けられた表情は笑顔だったものの、その声は揺れていた。
 再度二人になると、大きく溜息をついて項垂れてしまう。
「少し救われた気になってしまった。悪い、泣きそうだ」
「いいよ、拭う涙がなくなるまで隣にいるから」
「さらりと良い感じに言うな」
 本心から言ったつもりだったけれど、何故かきょとんとした後呆れたように笑われる。
「だが一人ではなかったから、あの子に笑顔を向けることが出来たのだろうな。いつもの店のプリンでも買って帰るか、礼に奢る」
「そう? じゃあ新作のリンゴ酢味がいいな」
「美味いのかそれは」
 いつもと変わらない笑顔で笑う彼を見て、少しほっとしながら岐路に着く。私は夕陽と違って、相手を納得させられる慰めの言葉なんて言えないから。
 途中真昼がバッグを投げたことにより卵が全損していたと気付くのは、家に帰ってからの話。