小説 『自殺願望者』

学内コンクールのショートショート部門に出した小説です。
相手が本当にかけがえのない人だったら……そんな一つの友情の形を書きました。直接的なタイトルですが、暗さと明るさの対比を描いたつもりです。

※題名の通り自殺の表現がありますが、推奨・助長のつもりはありません。家族との仲も良好です。



「明日……死のうと思ってる」
 放課後の鬱陶しいほどに夕陽が差し込む教室で、親友はそう言った。明るく笑っていて、なのにもう覚悟なんてとっくに決めた顔で。
 何故だか、止められないなと思った。彼の表情を見たからか、はたまた言葉が出て来なかったからか分からないが、邪魔をするべきではないと。だから、そっかと一言返しただけで何も言わなかった。
 そしてそれに乗るように話を続ける。
「どうやって?」
「そうだなぁ……色々考えたけど、死んだ後を誰にも見られたくないんだよな。だから誰にも見つからない場所で飛び降りるよ」
「なるほど、それがいいかもな」
 死ぬ方法を話す彼は、ここ最近で一番楽しそうに見えた。明日が待ちきれないとでもいうような、わくわくした表情。
 あまりに非現実的だからか、心のどこかでやっぱり冗談だと思っているからか……不思議と恐怖も不安もなかった。彼は友人で、ましてや親友。今のところ全部の関係をひっくるめてみても、彼以上に大事な人なんていないと言える。だから死なないで欲しいのは確実であるはずなのに。
「どうして俺に教えてくれたんだ?」
 そう訊ねると、彼は腕を組んで首を捻った。
「なんでだろうなぁ。でも優(ゆう)には言っておかなきゃいけない気がしたんだよな」
「なんか嬉しいやら悲しいやら」
「あはは、ごめーん」
 悪気はゼロ。だが言ってくれただけいいのだろう。いつの間にかいなくなって、理由も分からないまま死んだという事実を知らされるよりは。
「でさ、今日うちに来ない?」
「え?」
 予想外の提案に聞き返すと、僅かに照れくさそうな顔をして。
「いや、最後の夜くらい寂しいのは嫌だなぁ、と」
「なんだそれ。センチメンタルか」
「や、喧しいわ。で、どっちなんだよ」
 明日死ぬ人のテンションとは思えなくて、思わず笑いが出る。
「いいよ。せっかくだしさいごまで付き合うよ」
 すると彼は嬉しそうに、それでいて寂しそうに笑う。
 今日は、親友との最後の一日だ。
 
   *   *   * 

 俺と親友の心(しん)には、一つの共通点があった。それは親に虐待されていたということ。耐え切れなくなり、家を半ば強引に飛び出して一人暮らしをしていると言ったところまで同じ。
 知ったきっかけは、彼が一人ひっそりと着替えていたところを偶然俺が見てしまったことにあった。彼の腕や腹の当たりにはいくつもの痣があって……見覚えのあるものだった、話ができると思った。そのため、思い切って「その痣、どうしたんだ」と尋ねてみたのだ。
 それからは早かった。話は驚くほどに共感と実感を得て、友達どころか親友と呼べるほどの関係になった。まだ二年も付き合ってないのに、まるで長年の付き合いのようにお互い気を許し合っていたと思う。
 それだけで、救われていた。理解して共感してくれる人がいると言う事実が大きかった。でもきっと、俺だけだったのかもしれない。
「そういえば今日聞いたんだが、西原(にしはら)に彼女が出来たらしい」
 日もとっくに落ち切った帰り道。変に意識することも無いだろうと、いつも通りの会話を持ち出せば、彼はすごい勢いで反応を示した。
「はぁ⁉ あいつ……ひとには裏切るなとか散々言っておいて?」
「心ごめーんって言っていたぞ」
「ふふふ、許すわけねぇだろって言っといて」
 自分で言え、と突っ込もうとしてやめる。そうか、明日死ぬと言うのなら二人が話すことももうないのだ。だから、言っておいてなのだろう。
 変な感じだと思う。今日まで普通に話していた人が、突然いなくなると言うのはどんな感じだろう。自分で考えると分からなかったものが、客観視してみると分かるような気がしてきて……それを考えるのも辞めた。別に考えなくてもいい。
 帰路の途中にあるコンビニで、晩ご飯を買う。最後の晩餐くらい豪華にすると言った彼が選んだものは、焼肉弁当。そこはやっぱり高校生の財力だなと思う。
「スイーツとかお菓子とかも買えば?」
「そ、そんなことしたら金欠になるだろ」
「だってもう金を使うこともないだろう?」
「そっか、それもそうだなぁ。じゃあ……桜餅とわらび餅とどら焼きと」
「し、渋くね?」
 確かに美味しいが、チョイスが男子高校生じゃないような。
 コンビニを出て、心の家へ。中に入ると、変化は如実に分かった。
 物が明らかに減っている。本も小物も、彼が大事にしていたベースもない。元々物が少ない片付いた部屋ではあったが、もはや生活感がないと言えるほどに簡素だった。
 あぁ、もう退くつもりはないんだな。
「優は何買ったの?」
「パンケーキ」
「それ晩ご飯……?」
 温めたりお湯を沸かしたりして、手早く準備をする。テーブルには焼肉弁当にパンケーキ、和菓子や洋菓子、おつまみやらジュースやら乗り切れないほどのものが並んだ。総額としては財布に打撃が来る値段だが、どれも高くはない。最後の晩餐にしては質素で、同時に十分だと思った。
「なぁ見て」
 食事途中、彼が意気揚々と冷蔵庫から持ってきたものはお酒と書かれた缶だった。
「未成年だろ、お前。どうやって手に入れたんだ?」
「なんか前、うちでパーティーみたいなことをしただろ? その時に混ざっていたのが、ずっと冷蔵庫に眠ってたんだよ。やっぱり飲まずに死ぬのはもったいないよな。一回は悪いこともしてみたいじゃん」
「悪の基準が可愛いな。今時お酒ぐらいみんな飲んでいるだろ、多分」
「は? 駄目だよ⁉」
「今から飲もうとしている奴が何を言っているんだか」
 いいの! と彼は苦し紛れに言いながら缶を開け、そっと口を付けた。結局苦いと一口で辞めたため、残りは俺が頂戴する。
 もそもそと買ったものを食べ進め、なんとか完食した。いくら豪華にしようと思ったとはいえ、量を増やすものじゃなかったと思う。
「優」
 クッションにもたれかかったままのだらしない体勢ではあったが、真剣な声に顔を上げる。すると死ぬということを聞いてから初めて、暗い表情を見た。
「優はさ、愛ってなんだと思う?」
「……」
「何をもってして、愛と呼ぶんだろう」
 話の意図が見えない。分かるのは、普通の答えは求めていないのだろうということだけ。
「怒るのは、愛があるからだとよく言うよな。なら何度も怒られたのは愛だった? 殴られたのは、俺のためだった?」
「それは、違うと思う」
 はまっていきそうだったため声を挟めば、彼は僅かに目線を上げる。
「愛があるから怒ると言うのは間違っていないかもしれない。でも愛のある怒り方は、相手のためになるものだと思う。何度も何度も怒られて、殴られて、それはお前のためになった?」
「ならな、かった」
「俺もそう。つか、相手に痛い思いをさせて痣を残すことのどこが愛と呼べる? と俺は思うよ」
 全ては結果論。相手がためになったと、愛だったと思わない限り、それは結局エゴでしかないのだと思う。
「まぁ俺が一概に否定できるものでもないが、お前が嫌だったと思う限りはそれが答えだよ」
 心は優しすぎるのだろう。他人のせいにはせず、まず自分が悪いのだと考える自己犠牲の精神。
 気持ちは分からなくもないが。親の言うことが絶対だった。親の言うことが何よりも正しかった。自分が、悪い。それが当たり前だったから、自分が間違っているという考えは簡単に変わらない。
「……やっぱり俺は愛されてなかったんだなぁ」
 泣きそうな声に、こっちも言葉に詰まった。どう声をかけようか迷っていると、彼は声とは裏腹に楽しそうな笑顔で。
「優は、俺のこと好き?」
「え? まぁ……」
 言葉の途中なのに、声を上げて笑い出す。
「あははは! ごめんごめん、冗談だって。告白とかじゃないから安心してよ、優と恋人は無理だし」
「ん? なんで今意味もなくフラれた? つか無理は酷くね?」
「だってお前モッテモテだろ。悔しいから嫌だ」
「その嫉妬は醜いなぁ」
「み、醜いって言うな」
 そんな調子で話していると、だんだんと瞼が重くなってきて。酔っていたのもあってか、いつのまにか寝てしまったようだった。そのためふっと目を覚ました時には、部屋の中はカーテンから漏れる朝日で薄ぼんやりと明るくなっていた。
 体を起こして心の姿を探すと、彼はそっとそっと着替えている姿が見えた。黙って行くつもりだったのだろう。でもそれは許さない。
「心」
 名前を呼べば、肩が派手に揺れる。
「びっくりした……心臓に悪いなぁ。俺は出るけど、まだ寝ててもい」
「待って、俺もついて行くから」
「は?」
 「なんで?」やら「何するの?」という質問を全て無視して、急いで準備をする。そして一緒に家を出て、彼についていくままに電車やバスを乗り継いだ。
 一時間以上かけて着いたのは、山奥の木に囲まれた高い橋の上だった。恐る恐る下を覗いてみると、僅かに水は流れているものの自然そのままの大きな石が転がっていた。落ちれば、間違いなく死ぬだろう。人も車もほぼ通らないため、彼の望んだ通り見られる可能性も低いと言える。
 これで、さいご。
「いい加減答えろって。ついてきてどうすんの、死ぬところを見たいとかいう性癖持ちか?」
「そんな性癖ないわ。なぁ、手貸して」
「なんだよ……」
 差し出された手を握り、ぎゅっと力を込める。
「これが答えだよ。言ったろ、さいごまで付き合うって」
「え……」
 きょとんとした顔。
「まさかその、さいごって」
「そうだよ、最期だよ。そんなに重いものじゃないが、お前がいなかったら生きている意味はないなぁと思っただけ。だから最期まで付き合うよ」
「で、でも、本当にいいの? 死ぬんだぞ」
「いいよ、自分で決めたから」
 すると、ゆっくりと笑みが広がる。それは嬉しそうにも悲しそうにも見えた。
「そっか……じゃあ一緒に死ぬかぁ」
 二人で梁の上に立つ。
 雲一つない空と、朝陽に当たる木の葉、下を流れる水の綺麗さに、思わず目を見張る。絶景だと思った。死ぬ前の景色が綺麗に見えると言うのは、本当だった。
 さっき下を覗いた時には怖かったはずなのに、今は全くそんなことない。彼と一緒だから? それとも、自分も覚悟が決まっているから? 
「ごめんな、優。俺がこんな選択を取らなかったら生きていられたかもしれないのに」
「だから言ったろ、自分で決めたって。そうだ、昨日途中で遮られたよな」
「何を?」
「俺のこと好き? っていう質問。好きだよ、愛してるよ、一緒に死のうと思うくらいには。だから愛されてないなんてこと、ないよ。勿論友人としてだが。俺も恋人は無理だから」
 そう言えば、彼の手に力が入った。
「……ありがとう、ツンデレ」
「は? お前、もうちょっと空気を読んだ発言をしてくれ」
「あはは、思ったことがつい」
 せっかく気恥ずかしい台詞を言ったのに。でも俺達らしいと言えばらしいのかもしれない。
 同時に一歩、踏み出した。
 ぞわっとするほど、速く落下する。そんな中、ふと体を包まれる感覚がして。それを理解する間もなく……体に、衝撃が。
 
   *   *   *
 
「う……」
 目が、覚めた。赤い赤い水溜りの上で、独りだけ。
 俺は心を下敷きにするように、横たわっていた。体は痛いが、動けない程ではない。いくら彼の上だったからと言って、この程度で済んだのは奇跡だと言えるかもしれない。
「……心」
 起き上がって呼びかけても、彼は何の反応も示さなかった。打ち付けたにしては、綺麗な状態。
 守ろうとしてくれたんだろうな、と思った。落下している時抱きしめられたのは、きっとそういうこと。やっぱり、彼は優しすぎる。俺はそういうところが大好きで……同時に大嫌いだった。
 昨日、彼が死ぬと言った時は勿論驚いた。だが止めることをしなかったのは、止める理由がなかったから。死にたくなった彼の気持ちが、俺にも痛いほど分かるから。死なないで欲しいと言うのは、単なる俺の事情。何もできないくせに止める資格は無いと思った。
 言われた時点で、なら俺も死のうと決めた。でもそれを心が知れば、彼はいつものように自分を犠牲にすると思い、バレないように振る舞った。
 そうやって、一緒に死ぬつもりだったのに……独りだけ生きている。生かしてくれたと言う方が正しいだろうか。それなのに、追ったら怒るだろうな。だがここまで来て、一人で生きろなんて言う方が酷なんだ。
 俺の中で、心の存在が思いの外大きかったことに驚く。でなければ、あの場で即決なんてしないだろう。
「……ありがとう。でも、ごめん」
 死後くらい、楽になれたらいいな。
 次は、俺の番。