てらこやの子どもとの関わり方を言語化してみる

“てらこや”は子どもを楽しませてあげる場ではありません!!

関わるひとりひとりが、“今この時”を本気で生ききる場でありたい。本気で遊ぶ、本気で極める、本気で笑って本気で泣いて。その体験が、子どもに“自分の人生を生きていく力”をつけていくと信じて。学生は子どものためにそういう時間を作ろうとする中で、自分の足りないところを痛感したり逆に良いところに気付けたり、仲間の存在に助けられながら少しずつ大きくなっていく。子どもはそんな学生と一緒に本気で遊びまくる中で、自分の好きなことや得意なこと苦手なことなど、自分のことをいろいろ知っていく。自分と対等に遊んでくれている(ひょっとすると子どもの方では自分が学生と遊んでやってると思ってるかもしれない)等身大の学生に自分の将来を重ねて見てくれるかもしれない。そしたら、今度はその子が自分や他の人のためにおもしろい時間を作ってみたいと思ってくれるかもしれない。

かもしれない…という願望をいくつもいくつも繋いでいくのがてらこやの教育方針っちゃ教育方針だと思います。大人が言葉やルールで教えたつもりになっていることよりも、子どもが自身の(本気で何かをやった)体験の中で自分の意思でつかんだ感覚こそが、生きていく上でその子の大切な要素になるんじゃないでしょうか。でも、つかんだ感覚というのはその子の中にしか存在しないし、どんな働きかけ声掛けが原因でそうなったというのも、結局のところ、はっきりとは知り得ないです。だからこそ、僕たちはそういう体験が起きてくれそうな環境(本気になれる環境)を一生懸命準備し、子どもとの関わりのどの一瞬間も子どもの心の声に耳を澄ませられるように本気です。「A君がサッカーしたくないって言ったけど、下手くそなところを馬鹿にされるのが嫌なだけで本当はみんなとサッカーしたいと思っていそうだな。俺が同じチームになってちゃんと作戦を共有したら、A君も活躍できるかもしれない。夢中でみんなとのサッカーを楽しめるかもしれない。それが小さな自信になれば、次は自分からやりたいって言えるようになるかもしれない。そうしたらサッカーに限らず、A君の世界がもっと広がるかもしれない。」目の前の子どもに本気で向き合う、とよく僕たちがひと言で言っている関わり方というのはこういう感じです。かもしれないが杞憂であれば、それで良し。子どもと学生が本気で遊ぶことに、本気になる。妙な言葉にはなりますが、そういうことです。

と、いうような思いを込めて、準備もして、当日は全力で子どもと一緒になって遊びまくる。それがてらこやでの子どもとの関わり方です。