「じゃあ、車で待っててね。」
閑かな、遠い時間が始まった。
ある雨の日のことだった。政府からの自粛要請期間中、本来ならもう新学期を迎えているころだ。俺は、母を仕事場へ車で迎えに行った帰りに、国道沿いにある大きめのスーパーへ寄った。母が夕飯の買い出しをしたいとのことだった。こんな期間中にわざわざ人の混み合う空間について行くのもどうかと思ったから、買い物は母に任せて車中で待つことにした。時刻は夕方よりの午後といったところか、運転席から見渡しても、結構な車の数だ。それに、入れ替わりが普段と比べて頻繁なように思える。けど、耳から入る情報に至っては、雨が車の屋根を打つ音だけだ。その、眼から入る情報との食い違いにうっとりした。俺は、1時間以上の待機を覚悟して、レバーをぐっと引いてシートをちょうどいい塩梅にリクライニングさせた。
「母の買い物は結構ながいんだ。」
首の後ろに両手を持っていき、腰を背もたれに深く預ける。「さて、何して待とうか」と思った矢先、はっとした。スマートフォンを家に置いてきた事に気付いたのだ。
俺は、自分が普段ないような事態に身が置かれていることに気付き始めた。
家に到着するまで、俺は友達と連絡をとる事も出来ないし、知りたい情報を検索する事も出来ない。好きな動画、音楽、本を読む事も出来ない。
車の外に出る事もあまりしたくない。なぜなら店内は人が多いし、俺は車外に出る事を想定してなかったので、見事にマスクさえ持ってきていない。
店に入らず、ただ外に出るだけなら何ともないが、雨が降るなか気は進まないし、車を離れすぎると帰ってきた母が車のドアを開ける事が出来ない。
つまり、母が買い物を終えるまで、俺は何もせず、この空間で待ち続けないといけない。
それもどれくらいだろうか?前述した通り、母は買い物が長いほうで、最低でも40分はかかる。それに、今はコロナの時期で、買い出しの量も多いだろう。時間はより長くなるはずだ。
「はあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」
そのような思考を巡らせた末の、ため息だった。
それは、静寂と緊張に終止符をうつ勇気の行動にも、退屈という度し難い永遠に、襲われることへの恐怖から来るものにも思えた。
思考を止めると、思考がやって来る。
こわばった身体が痙攣するのを、なんとかして阻止したいように思う。
耳からは何も聞こえない。
目の前には、何の不思議もない数台の乗用車が雨粒の形に微細に蠢いているだけ。やはり、視覚もあてにならない。
やがて、俺は自分の中を見つめはじめた。
そこにあるのは記憶だった。
俺のしたこと、俺のされたこと、俺が見たこと、俺が聴いたこと、俺が感じたこと、俺が言ったこと。
俺には、俺があった。
何分経ったのか、これから何分経っていくのか。
分からないまま、ただ目の前の自分に残されたものを考えることにした。