今年も半年が過ぎ、もう6月になってしまいました。
あいもかわらず生活は変化せず、淡々とした日々を過ごしてます。
水曜日担当なかむらです。
今週(5/26‐6/2)はとりたてて出来事は起こらず、さらりと時間が過ぎていきました。
それでも自分がそうなるように「選択」していたので文句は言えません。
休学生活が始まって約2か月。
日々悶々としている。毎日、不特定な時間に「このままでいいのだろうか」「自分はなにをしたいのか」「どうやって生きていこうか」などを頭の中でぐるぐるぐるぐるしています。
今の生活がずっと続けばなんてことも思ったり。
それでも時間は流れ、ぼくは年を重ねるし、月日はだんだんと流れていく。
自分から変わろうとしないと、生活も自分自身も将来も変わらない。
でも「時間があるから」とどこかで思っているから変わろうとしていない。
なんのための時間なのか今一度改めたいと思う。
昨日(6/1)休学日記メンバーのカワゾエ君とご飯を食べた。
コロナだからってビビらず積極的に出かけて環境を変えているっぽい(推測)話をしていると彼はすごく生き生きしていた。今何をしているかなどは彼の日記へ→
そうやって話を聞いていると自分が嫌になる。動けていない自分が浮き彫りになってくるから。そこに圧倒的な差を感じた。
現状に甘えている自分と、今出来ることを探して動き回っている彼。
比較したって仕方がないのだけれど、つい比べてしまうのは悪い癖。
5月までは予定があったが6月からはこれといった予定がない自分。
実家の急を要する手伝いも終わり、しなければならない事は一つもない。
それを見つけようとしない。やろうとしない。
遅れてやってきた五月病のような気分。
Twitterを見ていると、大学生でもなにか目標をもって動いている人は多数いた。文面だけでも彼らは生き生きとしている。
20代、30代の社会人の方とお会いした時、熱量がすごかった。
自分の目標を持っていた。
今活躍している多くの人はなにかしらの「目標」を持っていて、それを生きがいとしている。そして「何者」かになろうとしている。
ぼくはそれを見失っている。
「何者」かになりたいとも思わず、なにかの「目標」が取り立ててあるわけではない。宙ぶらりんとした状態。
好きなことはある。
文章は書くのも読むのも好きだし、サブカルチャーは好きだ。
でもそれだけで、どう生きていけるのか。
言ってしまえばただのオタク同然で、特出した個性があるわけでもない。
いっそのことVtuberにでもなってやろうかと思ったが行動できていない。
やってみるの精神で動かないと。
昔ほどのチャレンジ精神がなくなった気がしている。
死んだように眠り、だらりと昼前に起きる生活。
このままではいけない。
6月は
・決まった時間に起きる
・まずやる
・発言に責任を持つ(有言実行)
・言われたことはやる
を目標にします。
ここで上げたように自分は「行動」が圧倒的に出来ていないので喝を入れるつもりでここに宣言したいと思います。