趙 睿喆
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ヒストリー

出身地

神奈川県横浜市

幼少期の暮らし、体験

中国・東北地方で生まれました。

人と異なる性格から、回りから問題児視された時代でした。

その一方で、他の同級生より頭の回転が速かったことからよく先生の事務処理を助けていました。

中国は非常に厳しい学歴社会なので運動はあまりしませんでした。勉強しなければなりませんでした。

中学・高校時代

後に日本に引っ越し、横浜市にある公立中学校に編入され、しばらくの間、言葉と文化の壁に阻まれましたが、第三外国語である日本語の上達につれて仲間・支持者が増えました。そして、高校受験に臨むことになりましたが、神奈川県立神奈川総合高等学校の特別な選抜方法が廃止されたことが災いし、やむなく横浜市にある県立の自称進学校に進学しました。

高校で先輩の誘いでラグビー部に入部しましたが、運動が苦手なので選手よりもムードメーカーとしての役割が強かったです。高校生活が堅調でしたが、新型コロナウイルスの感染拡大でフィジカル・メンタル的に壊滅的な打撃を受けました。

そうした中で、大学受験という関門を挑まなければなりませんでした。高校の大学推薦枠が多数ありますが、それを捨てて一般受験にこだわりました。東京理科大・早稲田大・東京工業大・横浜国立大だけ受験するという決定をした際、回りの同級生から小馬鹿にされました。それでも最後までラグビー部を退部せず、勉強と部活の両立を堅持しました。しかし受験期のメンタル面が上手く調整できず、東京理科大・早稲田大・東京工業大が全て不合格になり、横浜国立大のみ合格し、第一志望校ではないが浪人しないという決断をしました。

大学・専門学校時代

大学で同じ高校からの仲間が存在せず、仲間が居ない・大学での勉強や生活に慣れない日々でした。新しいことをやりたかったですが、自分に合う団体がなかなか見つからず、高校と同様に先輩の誘いでラグビー部に入部しました。大学院進学という目標実現に向けて学習面もしっかりしないといけませんが、受験期で体力がかなり下がったことやメンタル的に未だに厳しいという難関を通過するため、初心に戻って一つ一つの基本からやっていきます。