川本なつか
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ヒストリー

出身地

兵庫県

幼少期の暮らし、体験

おとなしい性格でしたが、負けず嫌いで競争に負けた時はほとんど泣いてしまうような幼少期でした。
小学校に上がってからは絵を描いたり本を読むことが好きになり、いく場所といえば図書館くらいでたくさんの絵本や小説を読み本の面白さにのめり込んでいました。
小学3年生頃になると友達と遊びたいと、外で遊ぶことが増え毎日活発な日々を送り、たくさんの友達と一緒に走り回っていてとても楽しかったのを覚えています。
六年生が一番記憶に残っています。
​行事から授業まで本気で頑張った一年間だったからです。本気になれたのはクラスの仲間たちのおかげでもあり担任の先生のおかげでもあります。
卒業間近になった時にお世話になった先生にお礼として何かできないかと考えクラスのみんなで替え歌で感謝の言葉を伝え、またそれをビデオに収めてプレゼントしました。
花道では私がいたクラスだけみんな泣いていることを後から親に聞き本当にいいクラスだったと改めて感じました。

中学・高校時代

神戸野田高等学校 2021年卒業
中学・高校時代私が最も思い出に残っているのは部活動です。
中学・高校共に吹奏楽部に入部しクラリネットを吹いていました。
入部した当初、片耳が聞こえない私には難しいのではないか、やりたいと思っただけでは周りに迷惑をかけるんじゃないかと悩みましたが、帰り道が同じ同級生や先輩方に助けてもらいました。リズムから音取りまでお世話になり今でも感謝しています。
もともと同級生は私を含め三人しかおらず20人超えの後輩が入って来た時にも助け合いながら部活動に励んでいました。
大会の結果は良いものばかりではありませんが大会に向けての取り組みの日々は私にとってかけがえのない経験となりました。

高校でもクラリネットを続け中学よりもはるかに難しくなった曲の課題をこなしながら日々過ごしていました。
​同級生で同じクラス同じクラリネットの友達には表現の仕方から吹き方までたくさんのことを学ばせてもらい、私自身の知識も技術も上がることができました。
私も教えてもらってばかりではダメだと思い、自分からも意見を出しながら自分たちで曲を形にしていくそんな練習の日々のおかげで私は自分が何をどんなふうに表現したいのかと、言葉に表すのは難しいですが、よく考えるようになりそれを実践していくことでより音楽に対して向き合うことができました

大学・専門学校時代

大阪デザイナー専門学校
専門学校では3DCGを使って自分の作りたい世界を作っています。
ゼロから始めた3DCG。使い方もよくわからない状態で自分自身が作りたいものもあまり良く思い浮かばない時、周りの景色をよく見ようと思いました。
電車に乗っている時や帰り道など、普段ならよく見ない景色をしっかり見ることで何か作りたいものが浮かぶのではないかと思い実践してみたところとても良い経験になったのです。
なぜならたくさんの窓がついているビル、一軒家を見てそれをモデリングに置き換えることでどんな風に作業をしていくのかを考えるようになり、また自分が作りたいと思う事が増えていったからです。