中学では
「SKET DANCE」で生徒会に憧れ、生徒会長に就任する。部活動は、男子バレーボール部で、セッターポジションを3年間全うした。この時期は、ボランティアに関心などほぼほぼなかった。しかし中学3年の1月、地元の高校生会の人が中学へ勧誘しに来た。私はそれを「ふーん、こんなのもあるんだなぁ」と軽い気持ちで聞いていた。高校は制服で選んだ。
そう、制服で選んだ。
(中学時代学ランで、入学式の時に姉に「学ラン似合わないね(*^-^*)」と言われたのを3年間根に持って、ブレザーの学校にした。ブレザーしか勝たん)
通称:青春の牧高🌸に足を踏み入れたのだった。
中学3年の時に勧誘に来た高校生会に興味を持った。楽しそう。青春そう。
そんな気持ちで、新歓が5月末なのに4月初めに入った猛者。
高校生会は地域のボランティアがメインの活動で、自主企画で子どもたちと遊ぶことから、地域のイベントのお手伝いまで、幅広い活動をした。
夜中に歌いながらみんなでカレーを作ったのもいい思い出だ(戻りたいカレーの日)
そのころから、
「ボランティアって楽しいんだ!」といった、あってるのかあってないのかよくわからない感情をボランティアに対して抱くようになっていった。
その他にも、地域のイベント団体に所属したり、他の地区の高校生会に入ったり、行政の活動手伝ったり、と比較的活動的だった高校時代。
コロナが来る直前に行った海外へ渡航した。
それが、
ラオスであった。
現地の学校や街を訪問した。このような環境で生活をしているのか。教科書やネットでしか知らなかった途上国の状態。空気。
帰国後の反省レポートには「幸せとはなんなのか」といった疑問文をぽつんと、文末に記した。