7月の灼熱地獄の中、三重県でおぎゃーした私は、とても汗っかきで熱をよく出したらしい。保育園までは母親が担いでくれたそうだが、自力で歩かずとも汗ダラダラだったのだとか。
生後しばらくは京都や福井に引っ越しを命じられ泣く泣く移住を繰り返していたが、6歳くらいになった頃にアメリカに引っ越した。ワシントンD.C.で日本よりも綺麗な桜を見たのが印象に残っている。
帰国後は小学3年以降を日本の学校で過ごした。小学校では、日本といえど大多数の同級生がファーストネームで呼ばれる中で自分はいつまでも笹田呼ばわりだったのが未だに劣勢感をもたらしているが、アメリカで散々ファーストネームで呼んでもらったので結局は皆平等なんだなと納得している。世の中って上手く出来てるわ。
中高一貫校で過ごす。
中学生の時は英語部に入り、英語で簡単な劇などをしていたのだが意外な原因で部活がなくなってしまう。大多数の生徒が生徒会に入っており、多忙なために部活が成り立たなくなったのである。
英語部の自然消滅後、毎年恒例の英語劇に参加することになり、『走れメロス』の劇を作っていった。都内でもかなり良い賞を取れてしまった。
その後、英語部と密接なかかわりのある生徒会に自分も仲間入りすることになり、高1の時に1年間入っていた。生徒会活動を長きにわたって務めたわけではなかったものの、学校全体における縁の下の力持ちともいえる役割を果たせたことは今後も活かせる経験だと思う。
また、入学~卒業まで一貫で生物部に所属し、学校で色々な植物を育てたり観察会に行ったりした。また、観察会で捕獲した魚・小動物の一部を連れて帰って飼育したり、部のシンボルでもあるミシシッピアカミミガメの世話をしたり...振り返ると当時思っていた以上に充実していた。カメにまた会いたいが、母校にお邪魔する機会が今年はなさそうだ。悲しいが、来年以降に期待。
東京大学理科2類 4組に入学。
友達と会う機会がなかなか得られなかったが、五月祭前日の健診で同じクラスの友人と会えて嬉しかった。我々の大学生活はここからが本番なのだろう。
将来的に何をするのかが固まっていないが、野草のことや機械のことが好きなので、そこから何かにつなげていきたいと漠然ながらも考えている。
中学生の時にテニスをやっていたので大学で再開しようとテニスサークルに応募してみたが、縁がなく落ちてしまった。そこで、かねてより気になっていたボウリングを始める意向を固めている。ピンを倒す爽快感を味わえる日が楽しみで仕方ない!