杉尾 威月
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ヒストリー

出身地

栃木県

幼少期の暮らし、体験

幼稚園の時は家族から離れるのが不安でクラス分けの時に泣いてしまいました。
その時に園長先生がその日ずっとそばにいてくれたことでとても安心できたことが1番印象に残っています。
その後何かあっても園長先生がいてくれるというのを心の支えにして組の輪に入っていったのを覚えています。

中学・高校時代

中学校ではバスケットボール部に所属していました。しかし、これは自分がもともと志望していた部活ではなく、初めはただ辛い練習をするだけの時間でした。ですがシャトルランなどで体力的に追い詰めらとき仲間に励ましてもらうことでなんとか練習についていくことが出来ました。その後、自分はある程度シュートが出来てもドリブルが苦手であることがわかり、1対1などの練習ではあまり勝つことが出来ませんでした。しかし、試合ではボールを運んだ仲間からのパスをもらいゴール下でのシュートをしたり、相手から離れたところからのシュートでシームに貢献することができました。チームで役割を分担することの大切さや仲間とともに目標に向かうことの楽しさをバスケットボール部で実感できたと思います。
高校では情報工学部に所属していました。私はそこで横スクロールのゲームを作成していました。初めはただゲームを作成することに楽しさを感じていましたが、文化祭で自分のゲームを他の生徒が遊んでいるところを見てやりがいを感じ、ただ難しく作るのではなく、気付けば簡単にクリアできる方法を用意したり、もっと楽しんでもらうためにはどのように作ればよいかと工夫を考えるようになりました。私はこの体験で、自分が作ったものを他人に遊んでもらえる楽しさを知ることができたと思います。

大学・専門学校時代

自分は大学でワンダーフォーゲル部に所属していました。その際に夏合宿の計画の練習として5泊6日の計画をたてる練習を部の中で行いました。
自分はあまり複数人をまとめる立場につくことはことはなかったので始めは下級生に指示を与えることに後ろめたさや戸惑いを感じたのですが,それを同じ部の仲間に相談した際に,自分が下級生だったらしっかりと指示を与えない先輩がどう映るかということを聞かれ,とても頼りなく見えるし,下級生は先輩の指示を頼りにしているはずだという当たり前のことに気づきました。
その後何回か練習を重ね,改革の手順が頭に入ったのちにそれぞれの仕事の大変さを考えたうえでその先のことも考えて下級生に指示を与えて聞くことが出来ました。

職歴

なし