藤垣順気
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ヒストリー

中学・高校時代

中学・高校時代は言われたことを確実にこなす学生だった。
中学時代は、主張の強い性格が原因で周りの学生とうまくやることができずにいた。そのため徐々に周りの顔色を伺いながら受動的に行動することが増えていった。
高校時代は、中学時代に身につけた柔軟性で周囲とうまくやり、学業も部活動もそれなりにこなしていた。高校2年時の、フィリピンへの2週間のサマーキャンプとシンガポールへの修学旅行の経験から海外に強く興味を持つようになった。受験勉強をする中で、より多様な考え方に触れ、アウトプットをする機会も増えた。そこで自分がいかに狭い世界で生きてきたか、思考停止して中身のない生活を送ってきたのかに気づいた。そのため、大学では、何かに熱中することと自分の頭で考える能力を身につけることの2つを目標にしようと考えた。

大学・専門学校時代

学者を目指しているわけでもない自分が大学に入る意義を考えた時、正解のない時代の中で、多様な価値観・立場を理解し、自分の頭で考える能力を身につけることが重要と考えた。その能力を伸ばす方法は学問でもよいし、部活動でもその他の経験でもよいと考えた。自分はその中でも、自分が一番楽しんで打ち込めると思った部活動でその能力を磨こうと考えた。

そして体育会系アメリカンフットボール部に所属した。その中で様々な経験をしたが、自分が組織に最も大きな影響を与えたと考えるのは、4年次に主将として、所属するアメフト部の練習日数の1日を筋トレと勉強をする時間に充てたことだ。
私たちの部は2年前に二部で試合をしたが、その年に全敗し三部降格した。そこで私たちの代では「二部昇格・定着」という目標を掲げ活動を始めた。二部での試合で得た課題は、知識面とフィジカル面の弱さであった。しかし、今までは練習量が正義という風潮があり、手段であるはずの練習が目的に変わっていた。その中で、選手の多くは練習で疲弊し筋トレやアメフトの勉強に時間を割けていない状況が生じていた。そのため、私は週5日の練習のうちの1日を勉強やトレーニングに充てる時間へと変えた。結果として、選手の平均体重は6ヵ月で6kg増加、知識量も増えて新たな戦術を導入し、三試合で94得点20失点という好成績を収め、目標である二部リーグ昇格を果たした。

大学時代における最大の挫折は、アメフト部で最終学年のシーズン初戦で骨折したことです。左手の舟状骨という骨で、完治に半年かかるうえ、悪化すると手首を自由に動かせなくなってしまいます。私のOLというポジションでは手を使って相手をブロックすることが必須であるため、医師からシーズン中の残り2試合での復帰・出場は不可能と宣告されました。入院手術も行い体力も落ちてしまったためスタッフとして貢献することも考えましたが、最終試合まで1ヵ月あり、身体の強さとアメフトの知識に自信があったため選手として活躍したいと考えた。そこで片手を使わなくてもなんとかなるポジションに移籍し、プレーも絞り試合に出場する事にした。私自身のキャリーでは1度フレッシュ獲得しただけでしたが、直接2TDにつながるブロックを決め、勝利に貢献した。