父親の影響で3歳からピアノを本格的に習い始め、小学校4年生の受験期に入るまで毎日練習していました。得られたものは測り知れないですが、中でも大勢の人の前で自分を出すことの楽しさ、音楽だけでなくあらゆる音を聞く耳がそのおかげで敏感になっていることをつくづく感じます。
ピアノで舞台に立つことが多かったからか、中学生に入ってからはスピーチやプレゼン、弁論大会などで自分の主張をすることをとても楽しんで行ってきました。喋っている間一人一人に目をむけ、自分の話を聞いてくれているんだな、自分のストーリーが伝わっていくんだなという瞬間を感じることができるのは、すごく嬉しいしさらなるモチベーションになります。(詳しい事は中学、高校時代の欄へ)
また、音を聞く耳というのは、音楽だけでなく言語にも関わっていると深く感じます。私は英語や日本語を学ぶ際、基本耳から取り入れるようにしています。その人の声、抑揚、発音の仕方で伝わり方ががらりと変わるし、感情がストレートに伝わってくるので文章を読むよりよっぽど感動するんです。これもやはり、ピアノを習っていた影響かな、とも思います。
さて、私は幼少期の大半を音楽に費やしたわけですが、もう一つ今の自分が成り立つ上で欠かせないことがありました。
それはー 私が小学2年生、8歳の時にVEGANになった事です。
これは、両親の影響なんですが、畜産が与える人間への健康被害と、効率化を最優先にした過酷かつアニマルライツを完全に無視した生産方法、そしてそれらの環境への負荷という大きな畜産業界の歪みに気がついて、家族全員ビーガンになりました。
ビーガンであることの是非は置いておいて、私にとって菜食主義者であるというある意味日本ではまだ少なかった一つのマイノリティという枠に入った事は、小学生ながらすごく価値観の成長をさせてくれるものでした。小学校の給食で、お肉や乳製品が食べれないので代替のものを持っていく毎日だったのですが、席やクラス、学年が変わるたびに「なんで食べないの?」とか、「じゃあいつも何食べてるの?」というように質問攻めされることがよくありました。今思うと、小学生は偏見や思い込みがなく、私の周りのクラスメイトも純粋に知ろうとしてくれていたなと思います。どうしてこの人はそう考えるんだろう、といった素直な疑問に対して心から正直に話し合えた空間は貴重だなと思います。もちろん当時は自分でも分かりきっていないことも多く、聞かれて説明して、あ、なんでだろうっとなって考え直して…などと考える機会に恵まれていたとも言えると思います。
価値観の共有や認め合い、当たり前とされているけどなかなか大人になってからだとできない、柔軟な考え方を学ぶことができたし、周りの子達にも伝わっていたかなと思います。
さてさて、いよいよ中学生になった私は、とにかく社会で何が起こっているのか興味津々でした。毎日新聞を5種類くらい読んで、特に国際面は必ずチェックしていました。遠い国で起こっている戦争や貧困とは、自分がどう関わっているのかとか、同じ時代に自分は平和に暮らしているのに環境だけでここまでの差ができてしまう理由が純粋に知りたかったんですね。また、メディアが偏見、偏りがあることを実感したのも中学生の時です。
見方を変えるとこんなにも世界が広がるんだということに初めて触れて、すごく衝撃的でした。
高校生になって、特に50cmに入った後、まだまだ自分の知らない世界があることを学びました。大きく分けて、行動力と協働力。今まで自己主張を中心に活動していた私にとって、同志と話し合いながら一つのものを作っていくという経験を初めてしました。また、先輩方から学んだことも多くあります。高校生だから認められないかもしれない、という不安をとりあえず全て捨てて企業や国、社会に全力でぶつかっていくことです。高校生ですから、それこそ失うものは何もありません。今は、とにかくさまざまな方面に対して訴えかけたいことがたくさんあるので、一つ一つ楽しみながらこれからも頑張っていきたいと思います。