幼少期は元気と正義感が取り柄の子どもだった。
「どんな人でもまずは話して友達になる。」をモットーとし、分け隔てなく誰とでも話して仲良くなりたいと思って日々を過ごす。
そのおかげかたくさんの友達に囲まれた生活であった。
中学から部活動で卓球部に入部し、卓球漬けの毎日を送る。元々運動が苦手だったが、部活の練習に加え、経験者の父に教わったりクラブチームに通ったりして日々練習を重ね、始めたときの運動苦手だった当初からは考えられなかった、大会で入賞を果たし、ますます卓球にはまる。また、その功績もあり部長にも就任し、部の中心として引っ張る存在になる。普段の学校生活でも幼少からのモットーを大事にし、3年間どの学年でも学級委員を務め、皆から親近感のあるリーダーを目指して学級委員を務めあげた。
高校に進学しても卓球部に入部。松山高校は「文武不岐」をモットーとする学業と部活動の両立を目指す全国では珍しい男子校で、男子だけの環境の中で充実した学校生活を送る。行事には何事にも全力で取り組む校風であったこともあり、球技大会や文化祭など積極的に参加し、クラスメートとともに充実の日々を過ごした。部活動でも、2年時には団体戦レギュラーを勝ち取り、大会では県16の好成績を収める。
大学に入学してからも変わらず大好きな卓球のサークルに所属。先輩が少なかったこともあり、1年後半にはサークル長に就任。就任当時は自分含め2人しかいない廃部寸前の状態から、勧誘活動を工夫し1年で15人ほどのサークルにまで成長した。