良くも悪くも「ガキ」という感じだったと我ながら思う。体力が常にあり余っており、自己中心的なアクティブさ全開であったのだろう。小学校時代も特に変わらず元気いっぱいだったが、高学年時の担任の影響あって現在の「自分」に寄ってきた(進路変更?)のだと思う。ぶっちゃけた話、小さい頃は惰性で生きていたようで、断片的な記憶しか残っておらず当時の自分が何をどう考えていたかなどほぼ覚えていないが、上記のことだけは確かなことである。ああ、ちなみに、空手を始めたのは小学校低学年のことである。以上。
中学校はそれはそれは楽しかった。小学校では「勉強より遊び」(というより「遊びからの逃亡」といった方が正しいが…)を貫き通し、近所(徒歩10分程度)の中学校に晴れて入学。「快活に生きること」を小学校時代の恩師に教わったため、胸を張って元気に生活していった。入学式の名前点呼で体育館に爆音返事を轟かせ、後日職員室に呼ばれて学級委員長に(半ば強引に)任命されたのはこそばゆい思い出である。その堂々たる"惰性的行動"のお陰で、3年間学級委員長として学年に君臨し続けることができたのだ。我ながら自分の思い切りの良さには一定の信頼(≒不信感)を置いている。このままだと終わりそうにないので、短めのハイライトということで…。
中学校では行事が盛んだった。それはそれは盛んで、体育祭に関しては高校の時よりずっと盛り上がった。印象に強〜く残っているのは2年時の合唱コンクール、3年時の体育祭だ。前者では指揮者として登壇したのだが、結果発表前、絶対優勝だと思っていたにもかかわらず自クラスが呼ばれることはなく、ショックを受けて呆然としていた時に副担任に(この副担任がまたキャラが濃い人で、体育の先生かつ教頭かつおもろいおじちゃんみたいな人で…その話はまた今度)「よく頑張ったな」と背中をポンと叩かれた途端、演奏中の風景が思い起こされ、ワッと泣き出してしまった。この時初めて合唱の「威力」を思い知った。
3年時の体育祭は凄かった。自分は応援団長だった。体育祭の目玉は各群(赤組白組みたいなもの)によるパフォーマンス(演武的なもの)と、選抜リレーである。なんとなんと、自分はこの時(人生で初めて)選抜リレーの選手に選ばれていたので、どちらにも参加できたのだ!パフォーマンスの原案は毎日家でうんうん唸りながら拙い絵を描いて作り、総勢100人以上の生徒にダンスレクチャーしたり、校庭を走り回って大声で指示を出したり大忙しだった。この時「忙しさこそ充実だ」と真に感じたと記憶している。結果パフォーマンス部門では見事優勝!この時の感動・興奮ったら東大合格と同等レベルであったことは間違いない。そしてみんなが蚊になるであろうリレーのゆくえ。アンカー(!!)を任された団長は頭の中のヒューズが飛んでもはや別人になっていた。あれは、まさにスーパーヒーロー、この世界の主役だった。最後のコーナー手前の直線でトップに躍り出たその主役は最後までその座を譲らず、なんとなんとリレーでも一位!!!(思い出しただけで興奮してきた!》そして競技の部でもなんとなんと優勝!(しかも赤群と同点だった≒リレーのお陰でなんとか優勝!!)我らは(多分学校史上2回目くらい?の)(←たぶん)総合優勝を果たしたのだ!この経験はおそらく今の自分を形成する自己肯定感の根底を支える重大なものだ。誰だって、世界の中心になったような経験があればこうまでして伝えたくなるというものだ。ちなみに、このときから自分の好きな色は揺るいでいない。今後も揺るがないであろう。オレンジ色。橙群団長になれて本当に良かった。
さぁ高校の話だ!と思ったが大事な話を忘れていた。高校受験。体育祭が終わってからはすっかり切り替えて勉強モードに突入。もし勉強に野心的でなかったら、その時間で恋愛の一つや二つできただろうかなど考えると悲しくなる(小並)が仕方がない。ここまで読んでくれたあなたは「こいつアクティブかよ」と思っているやもしれないが、1年の頃から定期試験は1〜3位をキープする程度には勉強していたので(辛かった、とは言えないが)あまり「遊び」はしてこなかった。あーあ、青春よ…。勉強をがんばった自分は、開成・筑駒・日比谷に受かった!(このことも現在の自己肯定感の根底をなす重大な経験だが、あまりおおっぴらに言いふらすものではないのであっさり流すことにする…)合唱コンクールがなければ嫌なので開成は却下。合唱には女声がないと嫌なので筑駒は却下。というわけで日比谷に進学!(ホントだよ)
高校も楽しかった(そりゃそうだ)。高校では興味深い人間とたくさん出会えたおかげで、会話や談笑を通して自分の精神に磨きがかかった、とでも言えようか。高校でも中学同様行事に取り組み、学校という組織の教育的側面を削ぎ落としたものの最大限の活用ができたように思う。(あ、あと恋愛的側面も削ぎ落としたほうがいいかな泣)まぁ、中学の時ほど詳細な現象的説明はないのだが。(高校時代の今の自分への寄与は、言語化できない精神への微小な影響の積み重なり、とでも言えよう。それ故にである)これだと高校時代が不遇のものであったかのように映り得るので補足するが、高校時代に出会えた人々には本当に感謝しているし、一生涯付き合っていきたいと思える仲間にも大勢出会えた。その仲間たちとの経験の言語化が難しい。ただそれだけのことである。