木下明里
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ヒストリー

出身地

大阪市出身

幼少期の暮らし、体験

小さい頃から人懐っこく元気で明るい子でした。好奇心は人一倍旺盛で初めてのことや興味のあることは自分から進んで体験しに行っていました。運動も大好きでしたが黙々と作業することも好きでした。私の母はフラワーアレンジメントやステンドグラスをしており、隣に座って一緒に作業をしていたことを覚えています。小学時代には誰とでも仲良くでき、勉強はそこそこでしたが図画工作ではよく賞をいただいていました。

中学・高校時代

大阪府立阪南高等学校 2020年卒業

中学時代には何かに没頭したくバドミントン部に所属しました。歴代最弱校で知られており長年、地区リーグで勝てていませんでした。しかし、顧問の先生が代わり私たちの気持ちにも変化があり勝ちたいという感情の元、熱くなれました。きついメニューが多く辞めていく部員も多い中みんなで支え合って乗り越えていきました。大事な試合の前には耐震工事で体育館が使えなかったり試練が多かったものの2年半の努力の末引退試合では見事リーグ優勝、府大会まで上り詰めました。すごく達成感を感じ仲間との絆もすごく深まりました。挫折することも多くありましたが精神的にも身体的にも大きく成長できたと思います。また人の気持ちを考えることの大切さや感謝の気持ちを忘れないこと、メリハリをつけることを学べた場所になりました。

高校は阪南高等学校に通いました。まず今の私が言えることは、短い人生ですが、この3年間が1番潤っていたと思います。たくさんの人と出会い笑い最高の青春を味わえたと思います。高校受験をする際少し余裕のある学校を選択しました。そのため勉強にも余裕があり部活には入りませんでしたが社会経験がしたく高校1年生からアルバイトを始めました。働くこと、お金を稼ぐことの大変さが身にしみてわかりました。私がこれまでしてきたアルバイトは全て接客業のためコミュニケーション能力向上や人の様子を常に伺えるようになりました。年上の人と働くと学べることが多く、いい経験ができたと思います。アルバイトを通して私は働くことが好きなのがわかりました。高校3年間で出会った人たちからは吸収することが多くすごく感謝しています。

大学・専門学校時代

大阪デザイナー専門学校

大阪デザイナー専門学校に入学しました。趣味を仕事にすることに夢があり、入学しました。新型コロナウィルスが流行りバタバタとした春でしたが先生方のサポートが厚く今となっては1人で作業できるようになりました。不安が大きいなか、友達もなかなかできず最初の方は大変でした。学校に慣れてくると本当に優しくていい人たちばかりで甘えてしまう部分もありますが楽しく学校生活を送っています。課題に対する熱意もあがり、一つ一つ達成感を味わえました。自分がしたいデザインも大切ですが、見る人のためのデザインの大切さを学べることができました。まだまだ未熟な部分はありますが、もっともっといろんなことに興味をしめして柔軟に対応し精進していきたいとおもいます。